そばにいて(081218) まて、のできない犬みたいに。いらえを待つ間もなくドアをあけたから、小言のひとつでも言われることは覚悟して応接室にあがりこんだのに。反して雲雀は一瞬くちびるを開きかけただけで、なんにも言わなかった。 こういうところが、ディーノはまだ雲雀をはかりかねている。おんなじことをしても、怒ったり怒らなかったりする。たぶん機嫌なんだろうけど、雲雀に限ってそんなことないない、と思いつつ少しでもディーノのまとう気配の変化のひとつでも察してくれてんのかなと期待する。もしそうだったならどんなにかうれしいだろう、とも。 小言がないにせよいつ凶器が飛んでくるかはわからないおそろしい弟子なのだけど(でもそんなとこもかわいい)、なんでだか今日はそんな気がしなくて急いて距離をつめた。足がもつれてしまうくらいには。今日はそんなに機嫌が悪くないらしい。すんなりそばに寄ることを許されたので、ソファのアームに頭をあずけてねそべりくつろいでいるそのいちばん近くの床に腰を下ろした。 どんなときもそらされない、黒い目がディーノを見ている。こそばゆいくらいじっと。まっすぐ。それをもっとよくみたくてななめ上からのぞき込むと、前髪がはらりと落ちて二人のあいだの空気をふるわせた。 きれいだな、と思う。漆黒のそれはこの世界のいちばん澄んだ夜をうつしたようにすきとおって、底がみえない。その果てのない黒のひかりがまぶしくてしょうがなかった。目がつぶされてしまうくらい。夜空のきら星なんかよりずっとずっと。正直で純粋で。無垢なものだけが持つつよいひかりだった。 この目で世界を見たら、どんなにかきれいなんだろう。 ディーノがもうずいぶんまえにどこかにおいてきたしまったもの。 イタリアへ帰れば、またディーノにはディーノの日常が待っている。 騙したり騙されたり、牽制したりつまらない駆け引きをしたり、裏切ったり裏切られたり、ごまかしたり屠ったり。 ファミリーのためならそれこそどんなことだって。自分で引いた一線を越えないよう踏みとどまることに一生懸命になって。ぐちゃぐちゃでどろどろの世界で、それなりにきたないことを。 いまさらそれをやめようなんて、これっぽっちも思わない。 思わないけれど。 雲雀には駆け引きも裏切りも腹の探り合いも必要ない。それがいつだってこころよかった。きれいでまぶしくて焦がれてしかたない。けものの本能みたいにうつくしい。もう自分の手には入らないから、余計に。そのあこがれは、こどもの憧憬と同じものだとわかっている。 なににも縛られないで、おもうままに。 そういうものは、ディーノのまいにちには必要ない。あってはならない。 だから押し込める。雲雀のそのひかりを自分の瞳孔の奥に移しとるみたいに。 そうしたら、離れていても雲雀の目で世界を見ることができる気がしていた。どんなきたないものもそうやって。 とつとつと思いあぐねているといつのまにか雲雀の眉間にわずかにしわが寄せられていた。それがかわいくて、ついつい目元がゆるむ。 「あんま、見んなって」 照れるじゃん。 ふざけてわらうと、たぶん殴りかかろうとしているんだろう、ばねのあるたおやかな腕に力をこめるのがわかった。もうあんまり時間もないから、殴られてやる余裕もなかった。気配を消してそろりと近寄っていた手で雲雀のてのひらをからめとってふさいでしまう。 そうしたらちょっとびっくりしたのか、わずかにふるえたつめのさきがいとおしかった。ディーノよりちいさな、まっしろのつめたい手。 むりやりつなげた手の甲の上に、そうっとひたいをあてる。まるで雲雀そのものみたいにりりしい手に体温をあげいと思った。ほんとうはそんなもの、雲雀には必要ないのかもしれないけれど。 (自己満足だよなあ) 雲雀に修行と称して稽古をつけた。 底なしに強くなる雲雀をほこらしく思う反面、その力は確実のディーノの暮らしているけしてきれいではない場所にそれだけ早く雲雀を近づけたろうことをわかっている。そして雲雀はちかいうち引きずり込まれてしまうだろうことも。 強くあらなければいけない。でなければ死んでしまう。 ただそうだったとしても。それでもほんとうに一点のまちがいもなくただしいことだったのかディーノはずっとわからないでいる。 ぎゅとつよく目をつむった。雲雀の皮膚の表面をまつげで撫でる。 このまま、手の中に閉じこめてしまえたらそんな杞憂も消えてなくなってくれるんだろうか。 つまらない物思いは、でもかるく確かな意思をもっておとされたしなやかな手にあっけなく払われた。 くしゃり、髪をつかまれる。雲雀の手に。 ほそくたよりなく、きゃしゃなくせに強い手だった。 胸がぎゅっと狭くなる。息苦しい。呼吸がうまくできないくらいに。 くるしいくらいいとおしいと言ったら雲雀はどうするだろう。 時間はまきもどらない。起こってしまったことをなかったことにもできない。雲雀が守護者であることも、たぶんかわらない。それならせめて、ディーノの言葉やディーノとすごした時間がいつか雲雀を守り、その背筋をすこやかにはぐくむことができたらいいと思う。 雲雀なら、どんな泥まみれの場所でもきっと。 祈るように強くゆびをつなぐ。 このしろくはかない手を十字架に、いつまでもずっとすがりついていたいと思った。 |