触れなば熱情(081223) …すきだよ。 すげー、すき。 いつも冗談めかして雲雀に言うのとはちがう。他人の機微にうとい雲雀にだってわかるくらい。そのくらい、てのひらにいっぱいでこぼれ落ちそうな心のうちをたいせつに口にしている。 全校の日誌にくまなく目を通してひとつあくびをした。 ここ最近、毎日雲雀のもとに通ってくる男が今日は遅れるとどこで知ったのか雲雀の携帯に電話してきたので久しぶりに放課後をゆったり仕事にあてることができた。たっぷり時間を使って文字を追ったせいかすこし肩が重たくて、噛み殺し甲斐のある男が来るまで群れのひとつでも狩ってすっきりしようと思いドアを開ける。 カーテンのかかっていない廊下の窓ガラスは夕日をじかに目に届けてまぶしい。目を細め顔を背けると、応接の前を横切ってのびるまっすぐな廊下の途中。そこで夕方のオレンジの光をともした横顔と、ひそやかなささやく声をみつけた。 「―……」 くだらない話してないでさっさと僕と戦いなよ。 普段のディーノにならよどみなくそう言えたと思う。でも、言えなくなってしまったのは。 オレンジを反射するきんいろ。 橙色を映すはちみつ。 夕方の空にとけてしまいそうなディーノの影。 その横顔が切りとった絵のようにさまになっていて、雲雀はぜんまいの止まったブリキのおもちゃみたいにただぼんやりとつっ立ったままみとれてしまったから。 いつもは整った顔をくずしてなれなれしくそばに寄ってくるから、じっくり顔のつくりを観察することなんてついぞなかった。 表情だって、へらへらしてるかにやにやしてるかくらいしか雲雀は知らない。思い出せない。けれど形のいいあたまも、すっととおった鼻筋も、うすいくちびるも。つくりものかと思うくらいきれいで、そこから発せられるここにはいない電話越しの誰かに向けられた低くひびく声が、聞いてるこっちがはずかしくなるあまやかさでいたたまれなくなったから。 (ちがうひと、みたい。) 雲雀のしらないディーノ。 ここのところ、ずっと一緒にいた。いつもひとりでいる雲雀にとって、こんなにたった一人の誰かとおなじ時間をすごすことは今までなかった。 うっとうしい男と、でも戦うことは楽しいとわかってからは武器を交える時間に夢中になった。それだけじゃなくて、ああだこうだと戦闘のスタイルに口を挟まれるのも雲雀にとってははじめてだった。素直に聞けば、次はもう一歩追い込めることにわくわくして、追い込まれた男は手放しで雲雀を褒めるから、その余裕がにくたらしくてたまらなくて、褒められるのは慣れなくてこそばゆかった。 だいたい戦いの目的がそもそも相手の息の根を止めることなのに、ディーノは雲雀に対してそうではなくて、そんなこともはじめてだった。血を流したまま戦い続けようとすると怒られたし、けがをすると悲しそうな顔をされて頭をなでまわされるのもおかしな気分だったけど、ディーノの悲しそうな顔はどうしてだかそんなに悪くなかった。 およそ他人と過ごすだいたいの表情を見た気がしていた。みじかい時間が濃密で、なんだかディーノを知った気になっていた。ディーノはディーノで、いつも隠し事なんてなにもなくてぜんぶをさらけ出しているような顔をしていたから。 「うお、恭弥いたのかよ!声かけろよなー…」 雲雀をみとめてぱっと表情が変わる。もう、雲雀の知っているディーノの顔だった。よ、とかけ声をかけてもたれていた壁から反動で体を離す。そのからだのばねさえきらきらしていた。しなやかな指先で二つ折りの携帯を閉じながら雲雀のほうへ距離を詰めてくる。閉じられた携帯がたてたぱちんという乾いた音がやたら耳に残った。 不愉快だとおもう。 いつもの顔。 はなやかであかるい、ほがらかな。 「……なに泣いてんだ」 立ち止まったディーノをじっと見ている。雲雀よりもずっと背が高いから、目線と頭をちょっと持ち上げないといけない。泣いてる、と言われてなんのことかわからなかった。なに、と視線だけで告げると困ったみたいな苦笑いしてるみたいな、心配してるみたいな。なんともいえない表情になった。 「なに、じゃねーだろ」 「だって泣いてない」 間髪いれずに答えるとためいきをつかれた。しょうがないな、みたいに目をほそめて。くちびるのはしっこをちょっともちあげて。 どうしてかはわからないけど、さっき電話で話していたのとおんなじ顔だと思った。 雲雀をびっくりさせないように、ゆっくり持ち上げたんだろう腕が遠慮がちに伸ばされる。てのひらがほほにふれて、敏感な皮膚がほんの一瞬けいれんした。 長いなかゆびは雲雀の小さなほほをかんたんに覆って耳の下まで伸びる。さいごにおやゆびの腹でまなじりをさわられて。それではじめてそこが濡れていることを知った。 熱を持った液体をすくい上げるように動くゆびさきが触れる部分からぴりぴりしびれが広がる。電気を流されたのかと思う。 ずっとそうされていると、のどの奥のほう。肺よりもっと深いところがひきつれてずきずき痛くなって、息が苦しくなってくる。 傷じゃない痛みだからこわかった。 だから今だけは強くなることよりもっと。この痛さの正体をおしえてほしい。 そう思った。 |