星のなまえ(090105)






年末でも年始でも、雲雀にとってはおんなじ一日だ。特に時間にルーズになったり、生活パターンが崩れたりそういうことはない。
規則正しく夜は就寝。年末だからといって夜通し起きているなどということはいけない。ただ年末だからという理由で夜通し目をらんらんさせて騒がしくしたがる人種がいることは知っているので、巡回の回数は増やさねばならない。風紀委員長としてはしゃぎたがりの群れをおとなしくさせるのは、これはもう仕事なので。風紀を乱させないというのは意外とたいへんなのだ。




寒気がして目が覚める。ふとんからはみ出ていた肩がぶるりと震えた。
夜の、しんから冷えたりんとした空気がどこかから入り込んでいるに違いない。
寝起きのよくない雲雀にしては珍しく、意識がはっきりしている。真夜中の目覚めはふしぎだと思う。暗いせいかやわく五感が澄んでいる。無理に研ぎ澄ましたというよりは呼吸するような自然さで。

目をゆっくりまたたかせ、とろむ空気を肌で感じた。カーテンをきちんと閉めなかったせいなんだろう、布地からはぐれたガラスのところから冷気が沁みてきているのがわかる。めんどうだなとは思いつつ、思いのほか目がぱっちりしているのでふとんをひっつかんで潜るまえに、枕元の上着を起こした上半身にひっかけて立ち上がった。

うすいガラス窓のそばに近づくほどいっそう冷気が体にしみる。
寒いのはいやだけど、このいっそすがすがしい凍えるほどのつめたさは潔くてそこまで不快にはならない。
わずかに白くけぶったガラスは、雲雀のあたたかな体温をともした息を受けてさらに透明度を低くした。窓枠の表面で落下を耐えている滴り落ちそうなちいさい水滴を指先ではらい、そのままてのひらでガラスをぬぐった。つめたくてじんじん痛い。手製のちいさな窓で切り取った空を見る。

夜明けはまだまだ遠いのに、街灯はそれなりに明るく、星は見えなかった。
けれど家の前の道を見下ろせば、深夜に不似合いにきらきらの金色の男が立っていた。




「…なにしてるの」
ねまきに羽織だけじゃさすがに寒くて、はだしの足がきゅうきゅうつめたい。失敗したなとすぐ今出てきた玄関に回れ右しようとしたけど、目のまえの不審者がろこつに驚いた顔をしているのがちょっとだけおもしろくてそんな気も削がれた。
「え、えー…?」 なんで?と心底ふしぎそうに言われて、こっちが聞きたいよとしろい息を吐き出しながら答えた。肉まんが蒸かせそうなくらいの白い蒸気だ。
「いや、きょうやに会いたいなーと思って」
へへ、とばかみたいにわらう。
「弟子ができてはじめての年越しだからな、」
これは一緒に越さなきゃなんねーだろ!とわけのわからない自信満々だった。
ほんとうにばかなんだと思う。そんなあわい願望だけで来れるような距離だったろうか。イタリアというのは。考えるのもばかばかしい。
「ばかじゃないの」
「そーなんだよ。時差あるし、こっち着いたのが遅かったから、もー日付越えちまった」
正直に吐き捨ててやれば何を勘違いしたのかまたピント外れの答えが返ってくる。
「…いま何時」
問えば、バカ正直に緑色のいつも身につけているコートの袖ぐりをめくり現れた時計に目を凝らしている。
「二時」
「…そう。せっかくここまで来ておいて何か言うことないの」
「ん?」
「日本では、年が明けたら「あけましておめでとう」って言うんだよ」
年越しには失敗したみたいだけど。あたらしい年のいちばんはじめの挨拶を、いちばんに聞いてあげてもいいよ。
高慢なものいいをとがめるでもなく、コンクリートにもたれていた体を起こすとディーノはふんわりほほえみながら雲雀に近付いてほそい体に腕を回してきた。
「…あけましておめでとう」
これだけ日本語が堪能で、たぶん知らないはずない。なのに今はじめて習った言葉みたいに、雲雀の耳元で口にするのがくすぐったい。
「うん」
ディーノがまとっているコートがそもそも冷えきってつめたい。どのくらいここにいたのか聞かなくてもわかるくらいには。
「…さむくねぇ?」
腕を回していた雲雀の背中がぞくぞく震えたことで、思い出したように外気の寒さにディーノが焦っているのがおかしくてちょっとわらう。ディーノ自身が冷え切っているものだから、寒さの感覚が麻痺していたんだろう。
「さむいよ」
「だよな」


雲雀の家の前からちょっと行った大通りまで二人してもつれるみたいに小走りして、駐車してあった派手な赤い車に雲雀はあわてて放り込まれた。車内は暖かいかと思いきや外気と変わらず寒くて、革張りのシートにくっついた足の裏っかわがひんやりする。マフィアのボスは路上駐車はしてもアイドリングはしないらしい。
「冷えたよな。ごめんな」
エンジンをかけるとあっという間にあったかい空気が満ちてきてほっとする。風の出てくるところに手をあてていると大きな手が伸びてきて、よしよしとあやすみたいに撫でられてむっとした。不穏な空気を察知したディーノはごめんごめんと苦笑いしながら雲雀の脇の下に手を入れて膝のうえに軽々抱き上げる。
深夜の静かな道路。狭い車内でますます狭苦しく向かい合わせになるとそれこそこの世にふたりだけみたいな気持ちになるから不思議だと思う。
「な、ここ来るときにちっちゃい神社見つけたんだよ」
「知ってるよ。そこのコンビニ曲がってまっすぐ行ったとこでしょ」
「さすが」
ひっついたひたい同士がじんわりあたためあう。
「…あたりまえだよ」
「恭弥ちょっとだけ、付き合ってくれるか?」
上も下も右も左もなくて世界から切り離されてしまった場所でひそひそ声でささやかれた。
並盛に不審な外人を放置しておくことはできないのでしぶしぶうなずくとうれしそうにわらう。今雲雀がいる場所とおなじように胸もきゅっと狭くなった。



車にあったもの全部を身につけさせられていっそ動きにくい。
もこもこだ。靴下なんて2枚重ねだ。靴がきつい。
なんで真っ赤なフェラーリにこんなこどもの着替えみたいに一式きちんと洋服が揃えられているんだろうといぶかしんで、よくドジを踏む上司のために髭の部下が用意させておいたものだろうと思い当たった。まったく過保護なんじゃないかとあきれる。草壁並によくできた部下だということは認めるけども。


「誰もいねーなー」
有名な神社ならまだしも、こんな小さな町のかたすみではさすがに深夜からの参拝客はいなかった。いたところで雲雀を見たら逃げ出していただろうが。
「なあ恭弥、星がすげー」
首を直角に折り曲げて夜空をあおぎながら、まっしろの息を吐き出していとけなく笑うディーノはばかみたいに邪気がなさすぎて、思わず言うとおり素直に雲雀も倣って上を見てしまった。

見上げるとなるほど星が落っこちてきそうだ。空気が澄んでいるからなんだろう、うるさいくらいまたたく星は青白く光っている。雲雀の部屋からは見えなかったのに、街灯がちょっとないだけで同じ市内でもこんなに違うものかと感心した。
明るいと見えなくて、暗いからよく見える。さむくてきれいで、なんだかたまらなくなって目を細めた。
「…こっちおいで」
ぼんやり首を上向かせていたせいで、ディーノにかんたんに引き寄せられてしまう。でもそれもさむくてねむいから抵抗するものめんどうでどうでもよくて、引かれる腕に従った。
この寒いというのにまえを全開にしたコートの中に閉じ込められ上からぎゅうぎゅう抱きしめられる。あったかい。
ディーノの体温にぬくめられてたれそうな鼻水を、そのまま目の前の布で拭いてしまおうかと逡巡して鼻水をすすると、ディーノが小声で耳殻に吹き込んできた。

「すきだよ、恭弥」
「…なに、突然」
「今年いちばん初めの恭弥に会えてよかった」
「…」
「ずっと、笑っててな」
今日も、明日も、あさっても。一年中。

雲雀の目の前にはきらきらの金の髪が見え隠れする。
目をつむると見上げる星空よりきらきらのものがまぶたの裏を満たした。
「…ばかだね、あなたは」
「違いねぇよ。…でも今日カミサマが恭弥を起こしてくれたことには感謝するぜ」
「そんなことかみさまじゃなくて僕に感謝しなよ」
「うん、」
それきり黙ってしまったディーノの、抱きしめる腕の力があんまり切実だったから雲雀もディーノのコートのうちがわでもぞもぞ手を動かしてうすいシャツをぎゅっと握った。
こんなに星がきれいなのに二人とももうちっとも夜空なんて見てないのがおかしい。おかしくていとしくてしょうがない。
雲雀のおさない温度を感じながら、ディーノはもう世界中の何にだって感謝できる気になった。グリニッジも天文台も世界時も誰かが決めた時間の枠なんてほんとうはどうでもいいし、いつくしみたいならタイミングなんていつだってかまわないと知っている。
それでも、まっさらな時間がはじまる雲雀の世界で雲雀といたいとディーノは願ったし、真新しい時間に生まれ変わる世界で雲雀が聞くいちばんはじめの言葉を口にしたかった。
争いも血なまぐささもないしあわせな言葉を耳にさせて。
そんなことはだからどうということもないのだけど。
でもそんなしょうもない願い事を文句も言わずに聞いていた雲雀を。せめて今だけはこの腕にとじこめて全部のものから守りたくて、やっぱりたった二本の腕に力をこめるしかなかったから折ってしまわないよう注意しながらきゅうくつに抱いた。