バタフライブルー(090107)






思いもよらない緩急つけた足捌きに翻弄され、間合いに踏み込まれ不覚を取った。
やべえと冷や汗をかく間もなく、偉いもので体に染みついた反射神経は手の中の武器をしならせて雲雀のきゃしゃな二の腕を抉っていた。
ぎょっとしたのはディーノの方で、出血している本人はうめき声ひとつあげずスピードも落とさないでまた羽のようにかるく地面を蹴って向かってくる。

日を追うごと、というようなレベルの話ではない。一分一秒一瞬の単位でディーノの教え子はとにかく貪るように強さを吸収していく。体全部で食事をするように。無駄なものがどんどん削ぎ落とされ研ぎ澄まされていくからだは野生のけもののようだった。ときおり見とれてしまいそうになるくらい。けだかくしなやかでうつくしい。

ただけものは身を守るすべを知っている。傷口から血を出しっぱなしにしてさらに患部を広げるようなことはしない。
ディーノは弾道のような雲雀の軌道を読んで再度武器をふるう。今度は冷静な意図をしのばせてその動きを止めてしまうために。

「っ、」
予想もしていなかったんだろう、斜め後ろから迫ってきた鞭に雲雀は案外とあっさり手を絡めとられて整った顔をゆがめた。
「一旦ストップ、な。」
「まだ終わってないよ」
手首をぎりぎり締め上げても自分の武器を手放さず、隙あらばディーノのおとがいに一発食らわせようとしている。空気を細かく震わす殺気が至近距離でびりびり伝わってきてぞっとした。
「いーや、終わりだ」
鞭で締め上げていた両手首をてのひらぜんぶでつかみ直してディーノが先に武器を手放す。指先にぎちりと力をこめて雲雀の手の内からも同じように武器を落とさせた。力では雲雀はまだ全然ディーノにかなわない。

「ロマーリオ、手当て頼む」
力でねじ伏せられるのを何よりいやがるこどもをむりくり押さえつける。踏ん張っていた小鹿みたいな足をはらって腰を落とさせぺたんと座り込ませれば、ぐるぐると威嚇にのどを鳴らしそうな顔をしていた。
あまりに期待を裏切らない反応すぎる。
「必要ない」
吐き捨てる言葉は常日ごろのさらに何倍もとげとげで、やり込められて気が立っていることは知れた。雲雀がディーノの言うことをおとなしく聞くなんていう奇跡がまずないことだけれども、今と同じように敵わない状況を突きつけられてもさほど怒りをあらわにしないときもある。どこでその不機嫌スイッチが入ってしまうのかディーノはまだよくわからない。

「必要なくねえだろ?」
ため息まじりの苦笑いをこぼすと黒の奥に炎を宿したぎらぎらの目でねめつけてくる。
「なあ。なんでそんなに嫌がるんだ」
「だってどうってことないだろ。大騒ぎしないで。」
視線を合わせるためディーノがしゃがみこむと雲雀の眉間のしわがいっそう深くなる。そうやっておなじ高さに降りてこられることさえ気に入らないようだった。
「血が出て皮膚裂けててどこがどうってことねえんだよ」
「だってまだ動く。下らないことごちゃごちゃ言ってないでさっさと続き始めなよ」
あまりな物言いにさすがにディーノもぐっとつまる。
「…動きゃいいってもんじゃねえことくらいわかんだろ?血が出たら止血して、傷口は広がんねえように塞ぐんだ。ひとりのときでもできるように、ちゃんとやり方見てろ」



「うるさい。あなたには関係ない」
包帯を取り出したロマーリオの手を雲雀がはたき落として、その拍子に血の滴る右腕から赤いしずくが飛び散る。

「恭弥」
「…」
「おいボス」
「ほんとにわかんねえんだな」
ディーノは清潔な白いシャツが鮮やかな赤色に染まっていくのをじっと見る。
雲雀の態度は変わらない。
この数日、口をすっぱくして繰り返したたったひとつの諌言さえ教え子はこれっぽっちも聞く気がないらしかった。その事実は、怒りよりもむしろ悲しみをディーノにもたらし肺をじくじくむしばむ。
「わかった。もういい。ロマーリオ、手当て終わったら恭弥家まで送ってやれ。」
地面に転がったままだった包帯を拾って雲雀の傷口より心臓に近い場所を縛ってやろうとしてやめた。そのままポケットにつっこんだそれは傷をかばう道具でなく、ただの布きれだった。







「お前さんも相当なはねっかえりだなぁ」
さすがボスが見込んだだけのこたあるぜ、とロマーリオの言葉をいささかむっとして聞いている。
ディーノの赤い車ではなくその部下の黒い車にははじめて乗った。いい感じにくたびれた革張りのシートはつやつやなじんでたぶん高いものなんだろうとぼんやり思う。ぼたぼた垂れる血はこびりつくだろうけれど雲雀の知ったことではなかった。
「ねえ」
さすがに血が出すぎたのか頭がすこしいたんで、視界がかすんできた。
「あのひと、なんで怒ってるの」
「気になるか?」
「…べつに」
「気にしてやれよ」
めまいがして顔を伏せる。うっすら目をつむる。
年の功というはすばらしいもので、ロマーリオは雲雀の感情のとげを削ぐのが抜群にうまかった。意図的にやっているのか人徳というやつなのかわからないけれど雲雀のこわばりもちょっとずつほぐされていく。
「心配なんだよ」
「なにが」
「お前さんのことが。戦う理由が楽しいから、で今はいいとは思うんだけどな。ただそれだけじゃだめだ」
「…どうして」
消毒液を含まされ濡れそぼった脱脂綿で傷口を拭かれる。戦闘時の高揚がないせいで、ぴりぴりしみた。
「修行して、ひとりで強くなったわけじゃねえだろ。」
「どういう意味」
「相手がいるってことだ。」
傷口にあとからあとからにじんでくる赤い血をうつろな目にうつす。くらくらして、もうあんまりあたまがまわっていないと知った。
「ボスはお前を強くするために家庭教師を引き受けた。実際恭弥はどんどん強くなる。 でも強くなった結果が、お前さんを今までよりもっと生き急ぐ戦い方に結びつけちまうのがあのひとは嫌なんだよ」
「……ふん?」
「そしたらこの修行は、お前を死に追いやるためだったってことになっちまう。」
それじゃ悲しいだろ。

ぽつりと落とされた言葉は部下として、というより兄からのような父からのようなあたたかいひびきを湛えている。
「だからボスはな。恭弥が自分を生かす強さを、教えたいんだと思うぜ」
「…」
「ほんとの強さってのは戦闘のスキルじゃねえんだ。」
恭弥にはまだわかんねーかもしれねえが、と屈託なく笑われてそのとおりだったので雲雀は口をつぐむ。いつか自分にもそういうことがわかる日がくるのだろうかとうつらうつら考えた。
「ま、つまるところボスは恭弥がかわいくて心配でしかたねえってこった。」
「…なにそれ。」
「師弟ってのはそういうもんだろ」
「………もう戦ってくれないみたいだったけど」
「恭弥がちゃんとごめんなさいすればいいさ」
すぐ仲直りできる。
ぽんと頭をなでられてほんのすこし目の奥がじんとした。
「さて、これからどうする。ホテル行くか?家がいいか?」
にやにやしているんだろうと決め込んで見上げたロマーリオの顔は、けれどそうではなくやわらかな笑顔を浮かべている。マフィアには不似合いなくらいの。
肩透かしをくらった雲雀がきょとんと目をしばたかせていると、いつもの顔に戻って「ボスの気持ちもわかるぜ」と困った顔をする。
こたえなんて決まっていた。











「…何だよ」
スイートの部屋のぜいたくなしろいソファに深く沈んで、肘掛けにあたまを預けている。長い足はローテーブルの上に投げ出されてガラスの天板を汚す。ドアに背を向けるふてくされたかっこうのままディーノはひとりごとみたいにぼそぼそ言った。
雲雀はちっとも臆さないでずんずんディーノに近づく。
「どいて。僕も座る。」
「そっち空いてんだろ」
いちど怒ってしまった手前、邪険にしないこともできないらしい。いじわるになりきれもしないのに。
「…」
「…わかったよ」
見下ろされていたつむじをごまかすときのようにがりがり掻きながらディーノがのったり体を起こす。半分空いたソファに雲雀も腰を下ろした。
「…」
「…」

右半身にぴんとしたディーノの存在をかんじる。温度のあるいきものの腕が、遠慮がちにのびてきてほんのちょっとふるえた。
「………自分でやったのか」

雲雀の右の二の腕。シャツの上からも包帯で止血している部分にそうっと触れられる。濡れ紙をはがすようなはかない手付きだった。
「…」
「ロマの結び方じゃねえもんな、これ」
「……」
なんでもないことみたいに指摘されて、いくらか居心地悪いきぶんにはなったけどうそをつく理由はみあたらなかったから正直にいらえを返す。
「…習った」
「そっか。」
そんなひとことで、かたくなだった強い空気がゆるゆるとろけていく。太陽の気配がする手に、雲雀は髪の毛をぐりぐりかきみだされている。いつもなら断固拒否するところだけれども今だけは許してやろうと思った。
ディーノが雲雀をゆるしてしまうように。




しばらくそうしておとなしくしていると、いつもの調子を取り戻したのかディーノが声をうきうきさせてからかってきた。
「借りてきたねこみてえ」
どこで覚えたのか、調子はずれのくろねこのタンゴまでごきげんにくちずさんでいる。それが気に入らなくてじろりと目を光らせると、「おっと、くろねこのタンゴはイタリアの動揺だぜ」なんて得意げに言う。
雲雀の眉がきゅっとひそめられた。報復に出なければならないだろう。だって雲雀恭弥なのだ。しかも相手はその報復を期待しているようなきらいがある。存分にこたえなければ。


「ねえ。あなた、僕のことがかわいいの」
「はっ?」
予定外の質問だったらしい。
「ひげの人が言ってたよ」
口をぽかんと開けはなち、目をぱちくりさせている間抜けなかおを見ているとちょっと気が晴れた。雲雀はふんと鼻をならしてやる。

「…かわいいよ。」
でも満足気な雲雀の面持ちは、そのあとのディーノのほどけそうなあまったるい笑顔にかんたんに崩されてしまった。
「…あたまおかしいんじゃない」
絞り出した悪態は、うまくつむげているんだろうか。
からかう態度だったくせに、急に真剣にそんなことを言わないでほしい。ディーノはときたまそういうことをする。そうされると、どうしていいかわからない。けんかするよりもっとずっと、どうしていいのか雲雀にはわからないのだ。
「そうかも。でも、すげーかわいい。」

だから、けがなんてしないでな。

傷のない方の腕をちょい、と持ち上げられて中指の付け根にディーノのくちびるが、キスというよりはおまじないのようにやわくふれる。
雲雀にはやっぱりどうしていいのかわからなかったから、もういちど消え入るような声でばかじゃないの、と力なくささやいた。