タイニーボート(090125) たとえばけんかして出た鼻血とか、エロ本見て出た鼻血とか、チョコレート早食い競走して出た鼻血とか、部活中に怪我してすりむいて出た血とか、そういうのならいいと思う。むしろ中学生らしくておおいにいい。 ただあからさまにそれらとは違う事情で吹き出ている血しぶきなんて、およそ一般男子中学生には似合わないものをあびさせたままおうちに帰すわけにはいかないので、雲雀と一戦まじえたあとはディーノの宿泊しているホテルでおふろに入らせて、リングのごたごたが終わったあと、最近ではたいがいごはんもたらふく食べさせてから家へ送るのが常になっていた。 (しかしなんと雲雀は自宅に帰った後ふつうに自宅のばんごはんも食べているらしい。ディーノはいつかそのほそっこい体のどこにそんな容量が?暴れすぎじゃねえの?と聞いてみようと思っている。) 一ヶ月ぶりに訪れたすっかり冬化粧の並盛で例によって例のごとく屋上で雲雀とちゃんちゃんばらばらやりあったディーノは、寒さのせいか前回見納めた秋よりほんのちょっとおとなしい雲雀をつまんで車の後部座席にほうりこんだ。 すみっこで身をまもるようにちんまりちぢこまって大人しく目をつむっているなまいきな弟子は今はただただかわいいだけで、この寒いというのにざっくり編んだたいして目の詰まっていないベスト一枚なのがディーノにはいっそふびんに感じられる。夕方にちらついたたよりない風花に濡れたシャツのそでぐり、ズボンのすそ。ぬれた布に体温を奪われた手足のさきが冷えて赤くなっているのが目にも痛々しい。 わずかな血の水気と泥と汚れが混じってほこりっぽくなった体にかまわずディーノがはおっていたコートをなるたけそっとかぶせると雲雀は一瞬目をあけてぱちくりまたたかせ、振り払うのもめんどうくさそうにまた目を閉じた。 「ちょーっと待ってろよ」 バスルームに続くだだっ広い主寝室のもうひとつ手前の応接間に放置されて、雲雀はどろどろのからだのままソファに身を沈める。革張りのソファが汚れようと知ったこっちゃない。あったかかった車の中から人のいなかったホテルの部屋へ移動するとそこはしんと冷えていて、マフィアのくせに律儀に暖房を切るなと心中毒づくけれどそのいらだちで部屋がぬくもるわけでもなかった。 しかたないのでディーノにかぶせられたままのみどりの上着の前をぞんざいにかさねあわせ、首元までふかくおおう。 かすかにこもるあまいにおいに目を細めると、全身冷えきって寒いのにさっきまで乗っていた車内の続きのようにとろとろ眠気がしみてきてこのまま眠ったら風邪をひいてしまうなと思う。 これで体調を崩そうものならまたディーノにぐちゃぐちゃと小言を言われるしせっかく手ごたえある相手が来たのに治るまでしばらく戦ってくれなくなるかもしれないし、いろいろめんどうだと雲雀なりにうっそりした眠気をたえていた。 ふたつ向こうの部屋から水の流れる音がしている。 ディーノが湯をためているのだ。ざあざあとやわらかく温い水の音。 冷えた指先があたたかな湿気にくるまれるしあわせなぬくもりの想像であたまのなかが満たされていこうとしている。 と、そのゆめうつつのまどろみを無遠慮につんざくディーノの愚鈍な叫び声と水の跳ねるまぬけな音がして一気に現実にひっぱり戻された。あまりの不快さに罵声のひとつも出ない。 どこまでも雲雀の興をそぐのがうまい男だ。 すっかり吹き飛ばされた眠気と強制的にさよならさせられ舌打ちしながら立ち上がった。みどりのコートは腹いせに途中で床におとしてずんずん足をすすめるとあったかい気配が近づくのがわかる。漏れ出したかぐわしやかな湿度に、ささくれだった神経をいくぶんなだめられ手を引かれ、あるじのいない寝室を抜けてこうこうと明かりをともしたバスルームに急いだ。 一発(あわよくば三発)殴ってやろうときめていたのに、予想をかるく絶するおろかさにそんな気もうせてしまう。雲雀が一度抜くと決めた矛をおさめるなんていうのもめったにないことだけれど、それをありがたがる余裕は今のディーノにはなさそうだった。 「…なにやってるのさ」 着の身着のままぶくぶく沈んで水底にわかめみたいにゆれている金の髪をちから任せにひっつかんで引き上げる。いくら部下がいないといってもこれはあんまりだ。こんなところで死なれては、こんな男にまだ勝てていない雲雀の矜持にも関わる。 「はっ………死ぬかと思った…………ありがとな、恭弥」 「うん、一度死んだほうがいいかもしれないね」 「ひでえ!」 ほうけた顔で、雲雀に髪をつかまれたまま犬みたいに頭をふるふる振るって水滴をはらっているさまがばかばかしすぎた。 雲雀ははっと吐き捨てる皮肉っぽさでいつもどおり笑ってやったつもりだったけどうまくいかなかった。年相応というにはすこしばかり大人びているけど、ちゃんとした笑い顔になっていることが、目の前のディーノがちょっとほほを染めた満面の笑みでやたらにこにこうれしそうにしているありさまから知れる。 ディーノは興をそぐのもうまいが、毒を抜くのもうまい。 握っていたきんいろを手のうちから開放すると、あっけにとられて忘れ去られていた手先の冷えがじんじんよみがえってきた。 「ねえ。詰めなよ」 「え?」 しかも、冷え切ったところであつあつのお湯にさわったものだからまだ慣れない神経がぴりぴりにぶく痛みを訴えてくる。からだの芯からあたたまりたい自然な欲求がむくむくふくらんだ。ふんふんにおいをかぐうごきでかすかに鼻をならすとしめっぽい湯気が鼻腔をみたす。 今度は雲雀の変わりにぽかんとしたままのディーノを気にするでもなく、汚れたローファーを脱いで湯船の外にきちんとそろえた。汚れた制服はそのままで、陶器のしろい湯船にまずは足をつっこんで。それからゆっくり全身をうずめる。 あふれたお湯がさざなみのように返して、寄せることなくこぼれてあたらしい湯気になった。 ディーノの了解なんて取る必要はないだろう。なんてったって雲雀は命の恩人なのだから。 水を吸って、水中でもじっとり重たく張り付く布地のおもりがここちいい。じわじわなじむぬくもりが手足をとかしていった。 「こらこら寝んなー」 もうもうたちこめるゆけぶりのむこう、雲雀と同じようにシャツもジーンズもびちょびちょにぬらしているくせに急に大人ぶったディーノがわらっている。ぬれて掻き揚げられたままの前髪は見慣れなくて、ちょっとだけ知らないひとのようだった。 「…どこで寝たって僕の自由だよ」 「ばか、さっきの俺みたいになるぞ」 いちおう自分のばかさ加減を認識していることにどことなく満足して、かまわず目を閉じる。 皮膚をなでる水滴がつむじのてっぺんからすべりおちてまつげにたまった。 いくら広いバスタブで、まあまあ細身の男とはいえどもふたりぶんの容量なのでそこそこせまい。体育座りしてさんかくに折れたひざのうえにことんとのせた頭のすぐそばに他人の。ディーノの息遣いが聞こえる。 うとうとがひどくなる。 湯船のふちにほおづえをついたディーノは雲雀をみている。 手を伸ばしたらすぐ届く距離にあるからだからにゅっと腕がのびてきて、雲雀がひざをかかえている腕の、両わきの下にそれをゆるゆるさしこまれた。 浮力を借りてさした重さもないんだろう雲雀のからだを運ぶ動きはするするなめらかで、テレビで見た宇宙船の中身みたいになっているのかもしれない。もっとも視界のない雲雀にはわからない話ではあったが。 「…なーおまえ明日、ガッコどうすんだ」 問いかけのかたちをとってはいるけど返答なんてはじめから求めていないただのこもりうたみたいなひとりごとを、さっきよりもっと近くにかんじている。 水にしずんでしまわないようやわく抱き込まれた腕のなか、左の耳からは胸の鼓動がとくとくと。右の耳からは流れ星のようにおちてくる声と。雲雀のひたいのくっついたかたい鎖骨のあたりからはディーノのみどりの上着とおなじあまいにおいがした。 悪くない、と思う。 汚れたからだに汚れた服。一日のぜんぶの汚れをとかした湯で清潔になれるはずもなくて、制服だって洗濯しないといけなくて。けれど今はとてもそんな気にはなれなかった。もうすこしもうすこし。ずうっとこのまま。 |