どこにもいけない(090203)






つい昨日のことだというのにほんとうにひどいと思う。正確にはたった十六時間ぽっち前だ。明日イタリアへ帰る前に応接に寄ると言ったのに、ディーノが訪れたときそこはすっかりもぬけの空だった。
「くっそ〜あいつ…」
ふだんめったにしない舌打ちをめずらしくこぼして、ただその反面もうとっくにあきらめてもいる。予想もしていた。しかもどちらかというとアタリだ。
教え子がディーノの思い通りになったことなんて、たまに雲雀の欲求とディーノの要求がかさなったときくらいで、雲雀がまるごとそのままディーノの言うことをおとなしくきいたことなんてたぶんほんの一度もない。(けんかの末にしぶしぶ、なら何度かある。)
その気の強さがかわいくもありつれない態度はいとおしくも思うけど、こういうときはやっぱりちょこっとさみしい。去りぎわ名残惜しいのは自分だけで、雲雀はちっとも平気のような。
いささかぼんやりしょぼくれていると奥のほうから雲雀の部下が出てきた。
「よお」
ディーノより先に、部屋の外に控えていたロマーリオが草壁に声をかける。かるく会釈するその落ち着きはとても中学生に見えない。雲雀は中身と凶暴性はまだしも見た目はまあ中学生の男の子だが、草壁はどうだろう。ディーノはいつもうーんと首をひねる。
「おたくのボス、どこにいるか知らねえか?」
ドアの枠に手をかけたロマーリオが助け舟を出してくれた。ディーノはたぶん、なんとなく草壁にあまり好かれていない気がするし、腹心も部下もたぶんそう思っている。だからこそのこのナイスパス。まったくキャバッローネのファンタジスタだ。
「…好きにどこへでも行かれる方ですので」
「だよなあ…」
町の見回りなら残念ながらもう今回は会えまい。さきほどよりさらにがっくり肩を落とす。しおしおしおれていくマフィアのボスの肩にロマーリオのこつこつ節ばった手がぽんと乗せられた。
「まあそううちのボスをいじめてくれるな。いるんだろ?」
おまえそう思うよな、とにやにやわらっている。
「…」
草壁はいくばくかきまり悪そうにええまあとあいまいに答えた。歯切れがわるい。そのさまだけ見ていればまあかわいい男子中学生といえなくもなかった。

とにもかくにも、うじうじしていてもしかたない。傍若無人なこどもは草壁によるとどうやらまだ校内にいるらしい。ぎゅっとつかまえていなければ、あっという間に離れていってしまうきまぐれでわがままないきものをさっさとつかまえに行かなければ。逃げるなら手を放さなければいいだけの話だ。
勝手知ったるなんとやら、ディーノはロマーリオを残して応接のドアをきちんと閉めるとバカではないくせに高いところが好きなひとをみつけに出る。








「おまえな…」
絶対に屋上だと思ったのにいなかったから、中庭だの空き教室だの学校中かけずりまわるはめになってしまった。ずいぶんな時間のロスだ。なさけないことに息も少々切れている。
ちょろちょろどこを探してもいないものだからあせった。いろんなところを覗きまわってついには最上階のいちばん奥の視聴覚教室前を見てもいない。うろうろしていたらその廊下から見える屋上の、貯水タンクのところは見ていなかったと超直感みたいなひらめきを得てもうなんだかわけもわからずすごく走った。意味もなく走り回っていた学生時代みたいに。
さびのある金属のざりざりしたはしごをのぼるのもがつがつ二段飛ばしだったもので最終的には十三時間フライト前にこんなに疲弊していったいなにをしているんだろうという気にならなくもない。でもおかげさまで見つかった雲雀の、のんきな寝顔をみつけるとそんなやるせなさもどこかへ行ってしまった。
タンクのかげにはならないひなたで雲雀は薄着ですうすうねている。

けんかは強いけどからだはそこまでがんじょうではない。ひょいと風邪をひいてみたりする。だから薄着で寝るなよといつも注意しているのに結局こうして聞いちゃいないのだ。 にじりよじり近付くが、ひとの気配に敏感なので起こしてしまわないか心配でひやひやする。
(いやいやちょっと待て)
お別れのあいさつだ。起こさねばはじまらない。なにを心配しているのだ。決意を新たにするためにふるふる頭を振ってみる。声をかける。声を。
「きょ」
「…ん」
わずかにみじろいだ雲雀のほうが無意識なだけ三枚ほど上手だった。
ほふく前進の姿勢のままああ、とうなだれてからディーノはあきらめて雲雀の風上にそっとからだを横たえる。接触すればきっと起きてしまうだろうから、慎重に距離をわずか開けて。そうしたら北風にひゅうひゅうそよいでいた髪がつるりとしたひたいの上に落ち着いて、ただそんなことで安心した。ほんとうは帰る前に声を聞きたかったけど、もうそれはしかたない。あどけない寝顔だけでも上出来だろう。多くを望んではいけない。
吐く息を皮膚に感じられるくらい近くに雲雀の小作りな顔がある。切れ長の目をつむったまぶたのふちで、黒くきゃしゃなまつげがふるえていた。その振動を見ている。
衝撃的ないじっぱりもねむっているあいだはすなおに寒いのか、そばに熱源があることを野性的に感じたらしい雲雀はやがてもそもそディーノのほうへ寄ってきた。
ひたいがぺたっと胸にはりついて、からだはディーノのコートの中へ入り込もうとしている。コートの前を片方もちあげておまねきするとごそごそ遠慮なく入って来たのでそのままとじこめた。
肉のないうすいせなかも冷やしたくなくて、うでを回してきゅっとひかえめにだきしめればさすがに目がさめたようで、コートのなかで何をかしようと身動きしている。だきしめた雲雀のあたま越しに、手首の時計を見るとタイムリミットまでもうほとんどなかった。
「…帰るからな」
まだまだほそい二本の腕がコートの首まわりからにょきにょき伸びてディーノの首にやんわりまとわりつく。これはいけない。
「おい」
「…かえるの」
この寒空の下ほんとうに寝入っていた図太い体感温度の雲雀は寝起きでとろんといとけない。
「帰る」
「ふうん」
常とはちがう、たよりない両腕。なのにどうしてやわい力のそれをふりほどけないんだろう。ふしぎすぎる。
「…帰るからな」
「さむい」
「…」
「かぜひいてもいいんだね」
「おまえな」
おとがいにすり、とまっすぐな黒髪がこすれる。どうぶつのこどもがするみたいでくすぐったい。かわいい。
「…よくねーよ。起きろ。それか運んでやる」
「いやだよ。ここで寝る。帰れば」
「…」
目を見てやろうと思ったけど、ひっつきすぎていて顔をあげさせることはできなかった。なにせ雲雀のあたまはディーノの顎の下だ。無理に顔をあげさせたら急所を一撃される。これももういたしかたない。
ふふと雲雀がにんまりわらっているのがなんとなくわかった。思い通りになって満足したときの顔をしているに違いない。もう一度、うれしそうにふせられたまつげが鎖骨をなでた。
「…次はもうちょっと長くいれるようにするからさ。」
雲雀はこたえない。
けれど一歩間違えばうぬぼれみたいに聞こえるディーノのせりふを雲雀がとがめることはなかった。またねむってしまったのか、ねむったふりをしているのかはわからない。
ただ口にけして出されることのないわがままがあまり強烈にかわいすぎた。雲雀につられてうっとりしかけたあたまで仕事の算段をつけ、ディーノはもう一本飛行機を遅らせることに決めてしまう。
ああロマーリオごめん、と現状を察して迎えにも来ない優秀すぎる部下に心の中でだけわびた。