取り扱い注意(090208)






結局まんじりともできなかった。しかも件の熱は多少ひかえめには落ちついたものの、まったく反応していないとは言いがたく、正直きまずい。もちろん雲雀に対してもきまずいのだけど、他ならぬ自分に対してひじょうにきまずい。
はあ、とためいきをついてみる。呼吸といっしょにはりつめていた力を抜くと、よけいに心身の細部の状況がわかっていやになった。かといって全身に雲雀の重みを乗せたままいつまでも力を入れっぱなしにしているのもつらい。かるい修行だ。筋トレ?
どちらにせよどうしようもない。

ただぼんやり天井をみつめたり視界を閉ざしたり雲雀をちらちら見たりしていたディーノはからだのうえでもそもそ目覚めたらしい教え子にぎくりとして、けれどまあどのみち体勢的にのがれようもないのでゆるくさわってその覚醒をいざなってやった。できれば寝かせておいてやりたいけどそういうわけにもいかないだろう。雲雀もディーノも。いろいろと。
「ん…?」
「起きたか?」
表面をただなぜるだけのやわさでなく、指先に力をこめてすこやかな地肌をかく。その刺激がきもちよかったのか雲雀は動物みたいにん、と伸びをした。
(うわー…)
それがまた思いのほかかわいい。くあ、とあくびをしてディーノのみぞおちを持ち上がったおとがいがこすっていく。
「くすぐってえよ。」
ほんとうはくすぐったいというよりよこしまな意味でくらっときている。そのうごきを止めさせたくて、ごまかすように下あごにてのひらをはさんでごろごろくすぐってやった。
「風呂入るか?」
とにもかくにもこの体勢はいけない。汚れたままというのもたぶんいけないだろう。雲雀の返答をきく前に、よっ、とことさらあかるく健康的な声を出して教え子ごと身を起こした。ディーノの胸にぺったりくっついていた雲雀のからだは、まだねむたいのかふにゃふにゃぐにゃぐにゃしている。
ほうっておいたらディーノの方へもたれかかってもうひと寝入りしようとするものだから、ぺろっとはがしてわきに手を差し込んでとりあえずディーノの足の上からどかせた。うしろめたくないと言い切れない熱にとりあえず気付かれなかったことに、情けなくも心底ほっとする。
「こら、寝んなよー」
すっぽり五本の指におさまって、ディーノの手ならいっそ肩まで届きそうな脇までがきゃしゃなつくりだなあと思いながら、うつむきがちな顔にぐーっと近づいた。ひたいをごつんとくっつけてちょっと上を向かせる。雲雀はだるそうに力の入ってもいないゆびさきでこしこし目をこすっていた。
「おいおい、目はこすんな。」
よくよく考えると手も洗わないで寝ていたのだから清潔なはずがない。あわてて右腕ごととりあげる。雲雀は目をしょぼしょぼさせていた。
「…どした?」
「いたい」
ほこりが入ってしまったのかもしれない。雲雀は取り上げられた腕と反対の、よごれたシャツをまとった腕でさらに豪快にごしごし雑にこすりはじめた。
「こーら!」
あわてて手をのばし両腕ともつかまえてしまう。右手でそれをひとまとめにやわらかくつかんで下ろさせる。左手は手さぐりのままベッドサイドのランプをつけた。目はいけない。目は。
「見せて、恭弥」
「…」
雲雀は一瞬いやそうな顔をしたけれど、鏡もなければ動くのもめんどうだそうだったのでしぶしぶディーノに顔をつきだしてきた。言葉はないくせにたったそれだけで、さあよく見ろと言わんばかりだ。しゅっととがった気の強そうなあごまでがなんとなく攻撃的で、他人を顎で使うのがこんなに似合うひともそうそういないだろうなあと思う。少なくともディーノにはない貫禄だ。
「いいこ」
それにしたってかわいいことにわずかもかわりがないのが逆におそろしい。年下だからだろうか。それとも教え子だからだろうか。それだけだろうか。どうにも釈然としない。
両側のほほにするするてのひらをすべらせて小づくりな顔を引き寄せようとして失敗する。そもそもつきだされていたのでそれ以上あまりディーノの方へ寄せることはできず、結局ディーノが尻をにじりよじりシーツをくしゃくしゃにしながら近づいた。両足のあいだにぺたんと座り込んでいる雲雀をそのままディーノの長い足でくるりとかこってとじこめてしまう。そうしたらおたがいのふとももがこすれて、せっかく忘れかけていたきまずい気持ちがほんのすこしよみがえってしまった。

ぐっと上向かせてのぞき込むと痛そうに目をしばたかせている。開けているのもつらいのか、しだいにまぶたが閉ざされている時間のほうが長くなった。まばたきもひどくゆっくりでものうい。
「…どんなふうにいてえの?」
「なんか、しみる。」
「かゆいか?」
「かゆくない。」
「目じりのほう?目頭?」
「よくわからない。」
そう言いながらも、きゅうと眉間にしわを寄せているので、たぶん目頭が痛いんだろうと検討をつける。すっと通った鼻筋の、わきの皮膚を親指でちょいとひっぱった。

(…ドライアイか?)
「っ……うちがわ…」
急にぴくんと肩がこわばってきつく目が閉じられてしまう。
「おいおい大丈夫かよ…」
「しみる…」
ふうわりまぶたが持ち上がると同時にぽろり。左目の目頭からひとすじ水分がこぼれ落ちた。
(え)
どきっとして、もう思わずほとんど無意識みたいに口をよせる。うそだった。思わずの部分はほんとうだけど無意識なんかじゃない。めずらしいものを見て、ばかみたいに動揺している。
なみだが顔の縦のラインをつたうその前にとりあえずくちびるでせき止めて、そこからどうしようかディーノは固まっていた。こんな体勢はたから見たらまるでキスしてるみたいだということには気付いていない。
そろそろ、くちびるのすきまから舌を出してみた。雲雀は意外におとなしくしている。
(うーん…?)
怒り出さないのをいいことに、ディーノはぬれているくせにからからにかわいた舌を本格的にべろりと押し当てた。実際の話ではなく気持ちの問題だ。腹をすかしたおおかみのように飢えて、かわいている。
つつと鼻梁のまんなかあたりまで肌をたどったのろいなみだの跡をなめくじみたいに這い上げ、いかに雲雀といえどそこばかりはやわな器官にたどりつく。ちゅうっと吸う。なんだか必死な自分がおかしかった。けれどおかしいと思える余裕に安堵もしている。
雲雀はまばたきを繰り返す。それがおどろきによるものなのか、痛みによるものなのかはわからなかった。
「や」
舌が眼球にふれて、しおからい味が舌に広がる。白目はやわらかい気がした。雲雀がからだの中にたたえている海。それをかいま見ている気になった。雲雀はどうだろう。
「ん、」
開閉するまぶたのこまやかなうごきまで、ざらついた舌の表面で夢中になって感じている。ふるえるまつげの先さえディーノの舌のうえだ。その繊細な毛先にからまったしずくも吸い上げてしまう。うるんでいる右目もおんなじに。ちゅ、ちゅ、とせわしなく眉間をくちびるで行き来した。
「…しょっぱい」
さんざんなめまくったディーノの舌先と雲雀のりりしい目のふちがわずかに糸を結んでいるありさまにくらっとする。これはさっきよりももしかしたら、もっとずっとやばい。
「なに」
「ん?」
はたとひびく雲雀の健全な声にふらちな思考は引き戻される。危ないところだった。
「わかったの?」
「ん?…あ。………あー…」
まだすこし開けたままではつらそうな目をそれでもしゃんと開いて、ごく近い距離から雲雀がディーノを見てくる。原因はわかったのかと問いかける視線だ。ディーノは医者でもなければたいした医学的な知識もないのだが、これに限らずときどき雲雀はディーノを信じすぎる。おぎょうぎよくこたえを待っている。小首をかしげて。
(やべえ…)
「?」
「あー、のな。」
本題をすっかり忘れていましたとは言えずディーノはもごもごする。
「…まだいてえの?」
「ちょっとましになった」
「そっか。」
ほっぺをなでなで、さすってやった。雲雀はちょっときもちよさそうに目をつむる。
「…風があたると痛い。」
「あ、そうそう。ドライアイかもしんねえぞ」
そういえば思い当たっていた症状があったのだった。いちおう告げてみる。
「目は悪くない」
「悪くなくても乾くんだぜ」
つけっぱなしのエアコンがぶーんとぬるい風を吐き出していた。サイドボードに手をかけてスイッチを切る。片方の手が離れたせいで雲雀のあたまの重みがぜんぶ右手にかかってきた。もはや自分の首であたまを支える気がないらしい。
「ぬらせばいいの?」
「目薬とかな。」
「ふうん」
「それより風呂の湯気がいいんじゃねえ?」
そうだ、風呂に入ろうとしていたのに。
「もってるの?」
「持ってねえ」
「じゃあぬらして」
「え」
「さっきみたいに」
ぽかんとディーノの口はあきっぱなしになってしまった。あごが外れたのかもしれない。雲雀はなんでもないようなすずしい顔で待っている。
「…バカ、もうしねえよ」
「どうして。まだしみる。いたい。」
「どーしてもこーしてもないの。風呂だ、風呂」
雲雀に、というよりディーノは自分に言い聞かせる。
うん、風呂。風呂だ。風呂のスチームで。万事解決だ。そうと決めれば湯船をためよう。
するとディーノがベッドを降りる気配に気づいた雲雀はさっきまで留守番していた両手で目をこすりつけ始めた。
「あ、こら!」
あわてて止める。おまえそれは完全にあてつけだろうなどとは言えなかった。そんなこと言ったら火に油だ。思い通りにならないことはどこまでも気に入らない雲雀はむっすりしている。その顔がまた強烈にかわいい。まるですねているみたいだった。
「痛いって言ってる」
雲雀のきままさにどうせディーノはかなわない。
「……わかったよ…………ちょっとだけだからな」




さきほどまでのようにただなみだを吸い取るだけでなく、ぬるついた水分をとがらせた舌先にのせて、こっそり雲雀の目のへりへ注いだ。どうせ後で目を洗わせるのだからこれくらい許されるだろう。
雲雀のなみだとディーノの唾液を雲雀の目の上でないまぜにして、それをまたディーノの舌で吸い取る。軽いキスをくりかえしているみたいな音が無風の部屋にひみつめいてひびく。ばかみたいに興奮している。ちょっとだけだと言ったのはディーノなのに、やめられない。あきらかにさっきよりひどい。
「ん、」
「なんだよ」
「もういい」
ぐいぐいこどものちからで胸を押されてくっついていたからだが離れた。雲雀ももう飽きたらしい。そもそも、目をどうのこうのというよりディーノに言うことをきかせることが目的だったのだ。離された距離のぶん、頭にのぼっていた血もひいていく。
そのまま冷静になれるはずだった。
「ねえ」
「ん?」
立てられたディーノのひざがしらとふとももをぐいと雲雀のてのひらが押してしなやかな背筋がなめらかに伸び上がる。そのまま、おどろきにむきだしになっているディーノの目を食べるようにぺろりとなめた。

「…あなた、ずいぶんおいしそうな顔してたから」
おいしいのかと思って。

平然と言う。引いていった血までがかっと煮えたった。ほとんど怒りにも近い。
「おまえなぁ…」
「なに」
いますぐこの場で、頭を抱えてうずくまってしまいたい。
「そういうこと、すんなよ」
「どうして。」
「…しらねえぞ」
おどしをかけたつもりだった。おとなをからかうみたいにひょうひょうしているこどもに、このいらだちのままいっそ熱をたくわえてしまっている事実をぶちまけてやろうかと思う。 実際問題そんなことはとてもできないのがうらめしい。せめてぎりぎりはぎしりくらいはしたくなった。