あまぐもあめだま(090209) 「あー…………」 まとまりかけていた商談がこじれたと報告を受けイタリアからせわしなく日本に飛んでことが落ちついたかと思えば今度はイタリアでうさんくさい話があるという。 異国での滞在時間はたかだか九時間ちょこっとだったと思う。半日にもみたない。 いくらディーノが若いといっても体力も限りがないというわけではなくさすがにだるい。とんぼ返りってこのことだな、と疲弊したあたまにさらにもうひとつ日本のすてきな単語をつめこんだ。 今は昨日から着の身着のまま、キャバッローネの屋敷でしめきりを待つ書いても書いても減らない書類にサインをしている。いったい何時間起きているんだ。ていうか時差時差時差をくりかえして結局今何日何曜日なんだ。 紙って薄い。めくってもめくってもなくならない。 薄いくせに机のはじにそびえたつそれはものすごい圧迫感だ。半端ない。ディーノにとって圧迫感といえばかわいいまな弟子だけど、あちらは生きて変化しているからいい。打てばひびくしかろうじて会話もできる。それに比べて紙なんて無機物のくせに。だいいちディーノのかわいい教え子と違ってかわいくもなんともない。 「あー…」 もう本格的にあたまがまわっていなかった。そびえる無機物のかたまりをもう視界に入れることさえご遠慮したくて、椅子にもたれ首をそらして高い天井に視線を逃がした。目をつむると時差の向こうでほんのすこしだけ会えた教え子の顔がうかんでくる。 ロマーリオに無理を言って、とんぼ返りでもせめて一瞬恭弥の様子を見てから帰りてえとだだをこねた。 当然、ダメだ時間がねえといさめられたけどディーノもひかない。けがしてないか確かめるだけ、とうるんだ目で腹心の部下の腕にすがりつきながらお願いしたら、ほんとに一瞬だぞ誘われても屋上には絶対行くなどんなにかわいく言われてもだと念を押され、ものすごいスピードで車をかっ飛ばして中学校の校門にのりつけ応接までひた走った。マフィアのボスなのに。 ぜえぜえ息をきらしてそれでも応接のドアを礼儀正しく開けた。今ここにいなかったらもう今回はアウトだ会えないと思うと商談の場に面するときとはまた全然ちがう緊張に、ノブにかけるゆびさきさえばかみたいにふるえてしまった。 そんなだったから、授業中だろうというのにかわいい弟子がすやすやソファでねむっていたのを見て泣けてくるほどほっとしてしまったのはもうしようがない。 本当に時間がなかったのでそばに近づいて一分は寝顔をみつめてがまんしていたけど、もうしんぼうたまらなくなってしかたなくたたき起こそうとしたら(実際にはたたき起こすなんてふらちなまねをできるはずもなく、「きょうや、おきて」とひかえめに呼びかけただけだ)ふいに訪れた他人の気配にびっくりしたらしいかわいい子にぶん殴られた。 (あ、これけっこうひどくねえか…) 思い出すとグーで打たれたこめかみがちくりといたみを訴えてくる。でも驚かせた自分がわるいのだ、とうんうんディーノはうなった。 約束もなしに突然煙のようにあらわれたディーノを雲雀は警戒して結局五分のリミットのあいだ会話らしい会話もできないままになってしまった。それでも、最後ほんの数秒だったけどぎゅっとだきしめてどこもけがをしていないことが確認できたことにディーノは満足している。 たった数秒でも、雲雀がおとなしくディーノの腕の中にいたことが奇跡だ。かみさまに感謝したい。 腕のなかでおさまる場所がほんのすこし違っていて、わずかだけど背が伸びていたような気がする。こどもはどんどん成長する。ディーノがいないところでだって。すくすく勝手に育ってしまうのだ。 「はあ…」 それをうれしくもさみしくも思う。すこやかなからだのてざわりと清潔なせっけんのかおりがあざやかに五感によみがえるとなぜだかたまらないきもちになって、ディーノは今度は机につっぷした。 「…ん?」 せつないものおもいにふけろうとしたのに、ごり、と肋骨に異物が存在を主張してきたものだからそれはかなわない。 「…なんだ?」 のそのそ身を起こして、背もたれにばふんと身をあずけジャケットをごそごそ乱暴にさぐった。ポケットというポケットをひっくり返して裏地もまくりあげ最後にポケットチーフを引っ張り出し胸ポケットそのものも裏返してしまうと、そこからぽとりと何かがこぼれる。 こつこつちいさく床に転がったものを拾い上げた。 「…?」 見覚えあるかわいい色の紙がまるいかたまりをつつんで両端ねじってある。 「あ」 ディーノが前回雲雀に会ったとき彼にやったキャンディだった。ディーノの好きなおやつ。ざらめ糖がまぶしてあって、うまいし元気出るからまあ恭弥も食ってみろ、といやがるのも聞かずむりくり雲雀の学生服のポケットにねじこんでやったものだ。 (まだ持ってたのか…) 別れ際、そういえばスーツの襟をぐぐっとひっつかまれた。あのとき入れられたのだろうか。どちらにせよイタリア産の菓子などを雲雀が自主的に買い求めるとは考えにくい。 しかしディーノこれを雲雀に与えたときからもう一ヶ月はたっていた。雲雀が、あの雲雀恭弥がいらないものを一ヶ月もの長期間ポケットに入れておくなんて。 (…校則違反じゃねえの?) からかったらたぶん怒るだろう。 たぶん、だいじに持っていてくれた。 ディーノが好きだと言ってあたえたものを、今度は雲雀がディーノに。 パラフィン紙の包みの両はじを、たからばこをあけるみたいにていねいな手付きでほどいた。ころんと転がり落ちた飴玉は表面のざらめ砂糖がすこしはげ落ちていて、雲雀のポケットでこすれていたんだろうなあと笑みがこぼれる。だいじにつまんでくちびるにおしこんだ。慣れた味で、でも今まで食べたことがないもののような気がした。 ざらついた砂糖の粒が口の中のやわらかい部分にざりりとこすれて焦がして、けれどこおりのようにはかなくとけるころにはただあまく舌をつつんでいく。 ほかの誰でもなく、ただ雲雀に会いたいと思った。 |