(090219) ホテルまでのたいして長くもない道中でさえきつかったらしく、おぎょうぎよく駐車場の白線内に車が停止するころには雲雀はもうぐったりしていた。 「大丈夫か?」 「…」 反応を返すこともままならないのかまぶたをとじたままこころもち荒く息をしている。憎まれ口のひとつもたたかないなんて、これはゆゆしき事態だとディーノはむつかしい表情になった。 「とりあえず降ろすぜ。」 できるだけ雲雀を刺激しないよう落ち着けた声を降らせるとおっくうそうにまばたきをする。返事のかわりとも思えなかった。 ロマーリオの開けたドアから長い足をすべり出し、とっとっと小走りに車の反対側へ回る。手ずからきずひとつない黒塗りのノブをひいて、できたすきまにディーノは雲雀よりはずいぶんとおおきな身をちぢこめて寄せた。 「恭弥」 「…」 シートにくたくたもたれきったままの雲雀よりも低い位置からなまえを呼ぶ。ないしょのことをささやくちいさなひびきで。 「さわるからな」 「…っ」 おきものみたいにぽとりと投げ出されているゆでだこ色の手をごくゆるく重ねた。ディーノの手の内側でつめの先がぴくんとはねる。同時にうすくもちあがったまつげの奥でうるんだ水がゆれていた。 拒絶なのか許容なのかはわからない。わからないけど、わずかな時間じっとそうしていれば雲雀のゆびは元通りぐずぐず力の入らないままにとけていった。 「………もうちょっとさわる、な。」 折りたたんで地面につけていたひざを浮かせ身を起こす。腰を半分にかがめた姿勢からながい腕を伸ばして雲雀の背中とまだこどもっぽいひざこぞうの裏に差し入れた。指にかすめるどこもかしこも布越しにさえあつくて熱をもっている。あるいは雲雀が身の内に飼っている熱なのかもしれない。 乗せたときとおんなじようにていねいに掬い上げれば、雲雀はもうあばれる事もなくじっとしていた。 じっとしていればいとけない。日本人の中学生の中ではとりたてて言うほど小柄でもないのだろうけど、泣くでもぐずるでもなく赤い顔でふうふうあつい息をついて眉を寄せひたすら耐える雲雀はディーノにはひどくちいさなこどもにみえる。 「う、……」 持ち上げたからだはそれなりにずしりと重たい。万が一にも落としてしまわないようにと慎 重にゆすり上げれば振動が不快なのだろうむずかる不満げなうめきが漏れた。 「おーおー…こりゃずいぶん熱出てんな」 「さわっててもあったかいつうよりあっついな」 ディーノの斜めうしろ、ロマーリオの定位置は今はちょうど雲雀を観察できる場所だ。まじまじと。 「ずいぶん汗もかいてるしなあ…」 「だなぁ。風邪だと思うか?」 いつもディーノにかみついてばかりの猛獣がよりによってそのえものに抱きかかえられている。はじめてのことだ。なんでも知ってるロマーリオだって初見だ。はじめての出会いだ。ツチノコより貴重かもしれない。雲雀の足は、ぷらぷら宙にういている。 「それにしちゃ鼻水やら咳やらしてねえしな」 「インフルエンザ…ってわけでもねえか。シーズン前だしな。いくらなんでも先走りすぎだろ」 「まあ熱計ってみねえことには」 「体温計持ってるか?」 「部屋に用意させてる。常温のポカリスエットもな。ちゃんと飲ませろよ、ボス。」 そつのなさすぎるロマーリオは心配ももちろんしているのだろうがなんとなくにやにやしているのがわかった。隠す気もなさそうにしている。 見た感じから雲雀がそこまでひどいものでもないとも見当がついているんだろう。鼻水たらした、正当な意味で雲雀よりよっぽど手のかかるこどもだった(風邪もよくひいた)ディーノの教育係だったのだ。こどもの扱いに慣れているし、ディーノより医学的な知識もある。なによりロマーリオがこういう態度だとディーノも余計な不安を持たずどーんとしていられる気になる。まったくできた部下だと思う。できすぎだ。 「…いちお、病人だぜ」 でもいちおう釘もさしてみた。 「おーわかってら。めずらしいからつい、な」 「まあめずらしいよな」 「つうかはじめてだな。こんなに長く接触してるの」 「まあ、はじめてだよな。」 あたりまえだ。今の今まで用心深く潔癖でろくすっぽスキンシップもさせなかった雲雀だ。よくよく考えたらすごいことかもしれない。宇宙のひみつをまるごと抱いている。 「ちょっとなかよしの師弟みたいに見えるぜ、ボス。」 「え」 「……………うるさい」 動揺が振動になってしまった。ディーノが本人も思いがけず肩をはずませたのでその衝撃に小宇宙はじりじり抗議してくる。 「お、わりい。起こしたな」 「……ねてない…」 「そっか」 チンと安っぽい音がしてエレベーターの扉が開いた。無機質な箱が、乗り込んだ三人分の質量をのせてぐんぐん上昇していく。平地と違う重力がかかってつらいんだろう、雲雀の背がふるりとふるえた。 「ボス、部屋の前にイワンがいる。鍵も持ってるはずだ。俺はフロント寄ってから行くからな。恭弥の熱ちゃんと計っとけよ。」 金属の扉が二枚に割れて空気をかきわける音がした。ロマーリオを中に残したまま金属はまた一枚に戻る。 「ん」 届いたかわからない返事を残して、言われたとおり足をすすめた。廊下のいちばん奥の角っこの部屋だった。 「おつかれ」 「ボスこそ」 ねぎらいながら開かれたドアの内側に一歩入ると人工的なむっとしたエアコンのかんじがひしめいている。今の雲雀にはきついかもしれないと思った。 「恭弥。」 「…ん」 「着いたぞ。降ろすからな。」 雲雀を降ろすというよりは、ディーノが雲雀を抱いたままの体制で雲雀の足が着く場所までからだをかがめた。能動的なのはディーノひとりで、雲雀はいっさい受動的だった。ただ丁重なあつかいには違いない。 「すぐ寝たいか?」 「…」 「風呂はムリだからな。とりあえずベッドで熱計ろう。」 「…」 「汗もかいてたから、水分取ったら寝ちまっていい」 「…」 しろい肌がほの赤く上気していた。こういう色にもなるんだなあと場違いに興味をそそられ、いけないいけないとみずからをいましめる。ぽうとしたままの雲雀の目は焦点もあっていない。寝たいならふらふらでもずかずか雲雀だろう。さきほどまでならいざ知らず、まさか立ったまま寝ているわけでもあるまいと中腰になって近付き覗き込んでいた顔をちょっと遠ざけた。 「横になりたくねえ?」 視界が広がるとうつむいた雲雀のつむじからふかんで全身が見わたせる。ほそくて今はたよりない。 左手がゆるくみぞおちのあたりを押さえていた。 「…きもちわるいのか?」 「…………………むかむかする」 こくんと首が前に倒れる。かすかな動きではあるけど雲雀はうなずいた。なにせ車を降りてはじめて会話が成りたっている。あの雲雀恭弥が意思の疎通をしてまで伝えたいことだなんてそれはもうよほどのことに違いなかった。 「たぶん吐いたほうがいい」 「…」 「な。」 ディーノが日本でいつもきまって泊まっているようなホテルではない。ましてスイートでもエグゼクティブでも。いたってふつうのビジネスホテル。だからベッドもトイレもお風呂も洗面所も全部が近くて、ディーノはせまくるしいのは苦手だけど今日ばかりはそれがありがたかった。 しろい陶器のトイレの前に申し訳程度に広げたバスマットのうえに雲雀のひざをゆっくりおとさせ、少しでも楽なように背をさすってやる。 山より高いプライドの雲雀は吐くところを見られたくないかもしれないと一瞬出ていこうか迷ったけど、とにかくそれどころでもないからそのままドアを閉めた。 「…どうだ?吐けそう?」 「…」 「咳してみな。奥のほうから。」 「…」 ためらったのちすなおにこんこんと咳払いしている。が、あたりまえだけど吐き慣れてもいない雲雀はつくりものの咳にさえ器官を圧迫され苦しそうにするだけだった。 ディーノのてのひらいっぱいになでている背筋がふる、とわななく。心臓がちくちく痛むほどいたいけでかわいそうだった。胸がぎゅうとなる。 「恭弥」 なでさすっていただけの手を止めディーノはうしろからやわらかく雲雀をだきしめた。せなかが冷えないよう、ちいさなそこがディーノのシャツの前みごろにぴったりそうようひっつく。こつこつしたふたつの肩甲骨がディーノの胸骨を均等にノックした。囲うように回した左腕で雲雀の右肩を支える。 「………なに、」 「吐いたらほんとに楽になるから、咳続けてな」 雲雀はぐずるそぶりを見せたけどかまわず右手の親指をうすくひらいたくちびるにかけて、人差し指と中指をくちのなかにつっこんだ。 「んっ…!」 びっくりしたんだろう、ゆるゆるほどけていた全身が一気に硬く緊張する。あたまのうえから足の先までぴんとはりつめたのがわかった。 「んん!」 「恭弥」 舌をディーノの指が押さえつけているから、いやだともやめろとも言えず身をこわばらせてしまった雲雀の右肩から二の腕をディーノはくりかえしゆっくりさする。 「落ち着いてちゃんと息しろ」 「ん…」 「さっきみたいに咳するんだ。」 「は…………っ」 「恭弥」 恭弥。 きょうや。 何度も何度も耳元でなまえを呼んだ。ディーノが望む正しい呼吸のリズムをさそうために左手を雲雀の表面でおだやかに何度も何度も上下させる。 じきにきもちのたかぶりが静まってきた雲雀があきらめたように口内の異物感にまかせるまま咳のまねごとをしはじめ、立てつづけに二、三度胃の中のものを吐き出した。三度目はほとんど胃液だけのようなものだったのでもう出ないだろうと判断して指を引っこ抜く。その刺激にいっしょに雲雀がむせた。 無駄遣いだろうと怒られそうなくらいトイレットペーパーをひっぱり出して雲雀のくちもとをぬぐう。息がぜえぜえとあらっぽい。 抱きこんでいたからだをそろりと離してトイレのすぐとなりの洗面台で水をくんで口をすすぐよう渡してやるとすぐさまゆすいでいる。やはり不機嫌そうな顔をのぞき見ながら、その背をまたさすってやった。 「…………あなた手を洗ったらどう…」 「あ?おお。そうだな」 立ち上がってせっけんをてきとうにあわあわしてすすぎ、ついでにハンドタオルをぬらしてかたくしぼったものを手に雲雀のかたわらに戻れば顔色がだいぶんいいことにほっとする。うつろだった目もいくらかしゃんとしたようだった。 「苦しくねえか」 いましがた乾いたトイレットペーパーでこすった場所を、しめったタオルであらためてていねいにぬぐう。雲雀がいやそうにしている。 「くるしいに。…ん。きまってる」 |