※「バタフライブルー」を一部改めたものです。(090307) 昨日は結局修行をつけてやることはできなかった。 (…………約束してたのになあ) ごめんなとつぶやく。誰も聞いてない。ちいさな謝罪はどこにも行けないで天井にさえ届かずとけて消えた。 病院の消毒液くささがしみついた茶色の長いすに腰掛け、にぶい白のつめたい壁を背もたれにしている。昨晩雨の守護者戦が終わってだいたい丸一日、頭はかすみがかったようにぼやぼやしていた。 自分で言うのも悲しいけどまあ疲労には慣れた体だ。毎日規則正しく眠れればそれはそれですばらしいことだけれども、たかだか一日や二日眠っていないことくらいどうというほどでもない。ちょっと前ならキャバッローネのなわばりの治安のため外で夜通しどんぱちなんてこともあったし最近は徹夜で書類にサイン、メールに時差電話だってばりばりかけるときもある。ボンゴレリングの件は確かに神経をつかうようなことは多くてもたった一日の騒ぎで脳が疲れてしまうほど回転させていたわけでもない。 ちかちか切れかけた蛍光灯の一本を仰ぎ見ている。人工的な光が残像みたくちらついてくらくらした。手をそっとまぶたのうえにかざす。てのひらの心地いい重みで目をとじた。まぶたの裏にはその場所と同じ黒い髪色のかわいい教え子の顔がふつふつ浮かんでくる。 ぽっと火をともしたように指先がじんわりあつくなった。親指によみがえる熱っぽさのことを。考えている。 (……泣いてた?) 人前だろうが人影だろうがぽろぽろ泣くような子でもない。涙が出ていることに本人が気付いていないようだった。 なめらなかしろいほほを触れるか触れないかあいまいな距離でそうっと覆って目じりのふちの粘膜に浮いたしょっぱい水に親指の腹でふれたら、日本人らしいうすくてうつくしい陶器のような肌がふるりと波打つ。ささやかな水滴を何度もすくいあげ乾かしてはまたぬぐう、そのささやかな動きに夢中になって。そうしていつのまにか雲雀の塩分でかわいていく皮膚の表面と同じ渇きをディーノはからだの内側で感じていた。心配とも違う。焦燥でもない。 雲雀恭弥に限ってそんなことありえないとわかりきっているのになんだか消えてしまいそうにはかなげに見えて、確かめたくなって抱きしめようとしたらわりに盛大な力でどんと胸を押し返された。 (…………はかなげ、は訂正しよう) 突き飛ばされた、のほうが正しい。 ただ昨日からそれを引きずったまま、今ももうひどく落ち着かないきもちでいる。 雲雀に会えばわかるだろうか。このすわりの悪い、どこへも向かわず体内でちりちりくすぶるもやもやのことが。 「明日最後だから、迎えに行くからな」とディーノの一方的な約束に雲雀はふりむきもうなずきもしなかった。 そろそろ病院を出ないといけない。雲のようにふらっとどこへでも飛んでいってしまうこどもだ。つかまえるのにまず骨が折れる。耳の近くでちくちく、腕時計の秒針のかすかな音がしていた。 手術室のランプにともったあかい光は消えないままでいる。もうひとつ今ディーノを悩ます同窓の剣士の回復はいよいよ思わしくないらしかった。 「きょーうやー」 ディーノを視界に認めたとたんものすごくいやそうな顔をするわかりやすさに苦笑する。 (……すなおすぎ) つんとあどけない眉間にたちまちしわがよって、くちびるがちょこっととがった。不機嫌もここまでくると愛嬌だ。 ああかわいいだけなのになあとやらかくてやさしいきもちが容量をオーバーしてこぼれてくる。ついさっきまでのわけのわからない物思いやもやもやもどこかへ流れていく気がした。 「なーに怒ってんだよ」 回れ右した雲雀を長いコンパスでゆるくおっかけた。雲雀は吐き捨てるようにちっと舌打ちしている。 「恭弥」 「……」 「今日、最後だぜ。」 「…………」 「……話くらいさせてくれよ」 「……」 「なーって、」 「うるさい」 言葉より手が出るほうが早かった。ここのところなんだかちょっぴり仲良くなって意思の疎通なんてできるようになった気がしていたのに、雲雀のやりようは初日くらいえげつなく急所をねらってくる。ためらいのひとつもない。人の話を聞く気もなさそうだった。 「……っぶねえ…」 しかもディーノと戦い続けてまたずっと強くなった雲雀だ。武器にのる体重は同じどころかむしろからだは締まっていくらか軽くなったほどなのに力の使い方がうまくなったせいで一打ちの破壊力がにわかに増している。けれど教え子のめざましい成長をのしつけて見せつけられほほえましく思うほどの余裕はなかった。 「ちょっ、おいっ……」 苦虫を噛み潰したような顔とはうらはらに、足取りは踊るようなかろやさで次から次へと雲雀が金属のかたまりを振り下ろしてくる。遠目に見ればおもちゃで遊ぶ気安さかもしれない。 正直なところ素手での応戦がきつい。目にはいつもディーノとやりあうときの楽しそうな色はこれっぽっちも浮かんでいなくて、ただもう冷え冷えと冴えきってどこまでもつめたい底なしの黒だった。喜々として戦うなんていうのも喜ばしいことではないけれど、これはさらにちょっと感心しないことだ。 「くそっ……恭弥!」 ディーノも武器を取り出し、けれど雲雀の動きを止めるためだけにそれを振るった。今は戦いたいわけではない。右腕に要領よくくるくる巻きつけとがめてやる。ちょっと強引に引き寄せて左手の中のものも動きを封じた。いくら強くなったといっても、雲雀はまだディーノの手の内にある。 そううぬぼれたのがいけなかった。 「っ……」 へたをしたら脱臼か骨が折れてしまってふしぎでないやりかたで、雲雀が腕に絡んだディーノの鞭から力任せに逃れる。 その拍子に、むちゃくちゃな力のかけ方をされた皮膚がやぶけてしまった。ただぎょっとしたのはディーノひとりで、出血している本人は顔色ひとつ変えずディーノのおとがいをためらいなく狙ってくる。腕を振ったら降り出した雨みたいにあかい血がぽつぽつと飛んだ。 「恭弥!」 まともに受けていたら舌をかみ切っている。ディーノの顎からほほにかけてのラインをちりっとかすめた攻撃の反動をひざにのせてやわらかくもない河川敷のじゃりの上に雲雀をむりくり押さえつけた。本気で嫌がる雲雀の抵抗を封じようというのだから並大抵のことではいけない。ほんとうにいやなことを、甘んじてうけるようなたちではないのだ。耐え忍ぶなんてことはたぶん死んでもしないだろう。 そう思い当たって、ここ数日はほんとにほんの少しかもしれないけどディーノの存在に雲雀なりに気を許していてくれていたんだなあとしみじみ感動した。荒れた空気にまったくふさわしくない感情ではある。 「きょ、や」 短い時間にもかかわらずぴりぴり緊張した空気のせいでふたりとも息はひどく上がっていて、それなりにディーノも必死だ。圧し掛かられている雲雀は手足をばたつかせ逃れようと暴れた。もう手加減とかそういう問題でなく体全部で雲雀を押さえ込む。それでも頭を打ち付けたりしなように首のうしろをかばった。 じわじわあかく染まっていくカッターシャツと、地面の石ころをディーノは眉をひそめてみている。 ぜえぜえ荒かった息がいくらか整いはじめる。雲雀もディーノも。雲雀の両手足はディーノのせいでしびれてしまっているはずだった。そういう力のかけかたをしている。ただ油断はできまい。なんといっても雲雀恭弥なのだ。 「ロマーリオ、手当て頼む」 土手の上にいるはずの部下を大声で呼んだ。どうあっても雲雀からは目をはなせないから、雲雀をじっと見たまま声を出した。そのせいでじかに音の振動が顔に伝わってきた雲雀はますますむっとしている。どうせつんつんしているのでいまさらだとディーノもあきらめた。 このくらいでしょんぼりしていては雲雀と人間関係は築けない。けど、どうしてこんなディーノが悪いみたいな気になるのだろう。注射をいやがるこどもをむりくり押さえつけるような罪悪感だ。 (……俺全然悪くねーんだけど) それもこれも、ほしがっているおやつを買ってあげないと言われてふてくされているこどもみたいな雲雀のせいだと思った。 まっすぐすぎる。大人びているくせにまるで反対の、幼児みたいなすなおさがいけない。中学生とも思えない、おとなになるに従って失われるはずのまっすぐさ。 それをまるでそこなわず雲雀は生まれたてのままみたいに持っている。だからどんなひどい態度を取られてもそれはひとつひとつ雲雀そのもので、ディーノはまるごと受け取りたいと思ってしまう。包み隠したり、オブラートに包んだりしない。むきだしでありのままなのだ。ディーノはいけないと思いつつ、いつだってつい甘やかしたくなった。なっている。今も。 ロマーリオの影がかたわらに落ちたから、小鹿みたいな雲雀の足に乗っかったままディーノは上半身を引き上げた。雲雀はぐるぐると威嚇にのどを鳴らしそうな顔をしている。 「……どいて」 「だめ。手当てさせるまでどかねーぞ」 「必要ない」 「必要なくねえだろ?明日もあるんだ」 「僕の知ったことじゃない」 「……」 ため息まじりの苦笑いをこぼすと黒の奥に熱をともしたぎらぎらの目でねめつけてきた。ディーノはできるかぎりやんわり雲雀にふれる。逆立った毛をなだめるような手が、毛羽立ちささくれている雲雀の胸の内側にさわれたらいいのにと思った。 「なあ。なんでそんなに嫌がるんだ」 「あなたに関係ない。」 「関係なくねえだろ。先生と生徒だぜ」 「言ってなよ。」 これにはディーノもちょっとばかりむっとする。 「……とにかく、手当てだけはさせろって」 「どうってことない。どいて。」 「皮膚裂けててどこがどうってことねえんだよ」 「ちぎれたわけでも動かないわけでもないよ。あなたが押さえつけるからいけないんだ。まだぐちゃぐちゃにされたい?」 「恭弥」 「……ああ、あなたがしたいのかな。」 雲雀はうっすら酷薄に笑っている。あまりな言いようだった。まさかすすんで雲雀を傷つけたいなんて冗談でも思わない。他の誰にも傷つけられたりしないでいてほしいから強くしてやりたくて。そうじゃなくてもディーノはもうただ雲雀が大切だった。大事にしたい。そんなかんたんなことさえ伝わっていないんだろうかと悲しくなる。 「動きゃいいってもんじゃねえことくらいわかんだろ?血が出たら止血して、傷口は広がんねえように塞ぐんだ。そんくらい、」 「うるさい。関係ないって言ってる」 折れる気のない雲雀とディーノの不毛な会話を横目に聞いていたロマーリオがしびれをきらして包帯を取り出した。その手をすかさず雲雀は叩き落として、その拍子に血のしたたる右腕から赤いしずくが飛び散った。 「恭弥」 「……」 「おいボス」 「ほんとにわかんねえんだな」 雲雀の態度は変わらない。 白いシャツのうえで雲雀のあざやかな赤色が面積を広げていった。 「わかった。もういい。ロマーリオ、とりあえずここ縛れ。」 ぐっと掴んでむりにあげさせた腕をロマーリオに突き出させる。手際よく巻きついた布が心臓に近い場所をせき止めて、血の流れがにぶったことを確認して立ち上がる。押さえつけていた足から雲雀の望むとおりにどいた。腕をつかんでいた手をほどいて。雲雀を放した。 視界にかわいいはずの教え子を入れないよう背をむけてそのまま歩き出す。自分のものでない血にぬれたてのひらはもう乾き出していた。ぎゅっと握って武器ごとコートのポケットにつっこむ。抱きしめることを許さない雲雀のかわりに。 ディーノの進む速度で離れて歩幅のぶんだけ距離がひらく。あたりまえのことが耐えられないことのように思えた。 「恭弥」 振り返ってみれば雲雀はまだぺたんと地面に座ったままでいる。とげとげしさもいくらかそぎ落ちている気がした。そんなだからディーノは駆け寄って抱き起こしたくなってしまう。くちびるを噛んだ。 「明日俺は見には行けねえけど。」 ケガすんなよ。 雲雀にしてみればけがをさせた張本人が何を、と思うのだろうか。でもそれでもよかった。雲雀が明日どこもけがなんてしないで元気で生意気で。そのままずっといてほしかった。 |