※「手の鳴る方へ」を一部改めたものです。(090310) ひやりとつめたくしろいはずの顔が上気している。それなりにお高いホテルのお高い部屋のベッド。そこに敷かれた生クリームみたいにたっぷりの白いシーツにうずもれた雲雀が、ふ、とあつい息をこぼした。玉みたいな汗が次から次からまるいひたいをつるつるすべり落ちてくるのを、ベッドのふちに腰かけたディーノはふっくらしたタオルでぬぐっている。 うすぐらいホテルの部屋でもわかるくらい赤くなったほっぺたをさわると熱を上げた肌にディーノの手の温度は心地いいのか雲雀はいやがりもせずじっとしていた。ほんのすこしだけ息が楽そうになってほっとする。 枕に沈んだ雲雀の耳の付け根のあいだまで伸びた指先が、こもった湿気にじんわりしめった。きっと体中どこもかしこもじっとりしている。 こうしてねむっていればほんとうにたった十五歳のこどもだ。 ついさっきまで血みどろになって暴れていたなんてとても信じられない未熟でおさない寝顔だった。 折れそうなくらいぴんと張って、しゃんと姿勢のいい背中がどこかたよりなく、ふらふらおぼつかなくゆれる肩をつかんだら拍子抜けするくらいかんたんにディーノのほうへ引き寄せられたことにうすく眉をひそめた。血を出しすぎている。貧血だ。 「恭弥」 気の立った雲雀がディーノの手をはたきおとす乾いた音がぱんとひびく。かと言ってディーノの方でも捕まえた手を離してやる気はさらさらなかった。 「……いたい。離して」 ぴりぴり苛立ってはいるけれども力ずくで思い通りにすることを雲雀が早々にあきらめ力を抜いたのは疲労のせいだろう。忙しなく終わりをむかえたリング争奪戦の。 「離さねーよ」 そうしてディーノは安堵していた。昨日雲雀が足を傷つけられたときのやきもきに比べたらどうと言うこともない。 瀕死のボンゴレ九代目を病院に搬送する間にロマーリオから連絡が入ったときはさすがに青ざめた。手当て受けさせるから絶対恭弥連れて来いという指示はなかなか果たされず、深夜容態がいくらか落ち着いてディーノ自ら探しに出ようとしたときにロマーリオに手を引かれたねむそうなこどもを見て安心やら心配やらじれったさやらで腰が抜けそうになったのだ。 (っていうかロマーリオ……すげえな……) 少なくとも今はディーノの手の中に雲雀の腕がある。 夜は争いごとなどなにもなかったようにすました顔で、並盛の町を黒い古ぼけたカーテンでおおっている。 ディーノを下からすくいあげるように見上げてくる雲雀の目も、いつもの胸がすくあざやかなきらめきはなく夜空と同じにうすくぼんやりしていた。 「もういいんだろ。離して。」 「どこ行く気だよ」 「帰るに決まってる」 「だめだ帰さねえ」 「……なにさま?もう家庭教師とやらは終わりのはずだよ」 ささいないさかいを口実に雲雀は武器を取り出そうとする。ぼやけた黒目に一瞬ちりりとマッチの燐がこすれた好戦的な火がともった。 こんなに疲弊していてもまだ隙あらばディーノと戦おうとする雲雀だ。その顔があまりにいきいき魅力的で雲雀恭弥らしすぎる。いつもならもうなんでも言うことをきいてやりたくなる目に、でも今ばかりは顔をしかめ雲雀を掴んでいた手をなぞりながらすべらせると両手でそっと手の甲を取ってやわらかくいましめた。 「おまえ、さっき毒打たれただろ」 「……だからなに?」 「無理に動いて無茶したんだ。あれはお前が考えてるような甘いもんじゃねえ。解毒しても、今夜ぜってえ熱が出る」 「だからなんだって言ってる。」 「だからひとりじゃどこにも帰さねえ。おまえどうせ誰にも言わねえだろ」 じっとねどこで横たわり、誰に告げることもなくひとり熱に耐える野生のけもののもつうつくしさ。もしかしたらのそれは孤高の浮雲にふさわしいすがたかもしれないけれど、ディーノにはそんなこととても耐えられそうになかった。 「…縛ってでもつれてくぜ」 つりあがった雲雀の目をじっとみすえる。てのひらをつつみこんだ指に力をこめ、声をひくめて引く気がないことをにじませた。 「……あなた、けっこうがんこだよね」 ややあって雲雀が地面に視線を落とす。ためいきというにはひかえめな吐息がもれて、すきにすればとつぶやいたとたんきゃしゃなひざがかくんと折れた。はからずもディーノのうでの中に倒れこんできたからだを抱きとめる。すっかり力の抜けてしまった芯のないからだはふにゃふにゃとやわらかくあたたかかった。 雲雀の、かたちのいいおでこにはりついたくろい髪をゆびさきでそうっとかきあげる。しめった髪は束になりぬるくなっていた。 人肌とか騒音にいくらか神経質なこどもが、触れられて文句も言わずに眠っている。まるでらしくないことだ。胸がちくちくした。 遠慮ない同窓のせりふを思い出している。これでガキどもはこちら側の人間だと言った。そのとおりだと思った。一度リングを受け取ってしまった以上、もう持っていなかったときには戻れない。 「……おまえはここで死んだほうがよかったなんて思うかな」 しかたのないことだ。守護者に選ばれ戦った。雲雀のおかれている状況を特別ひどいとか雲雀を特別かわいそうだとかは思わない。けれどどうしようもなく胸がしくしくいたんでいるのは、ディーノ自身がわずかでも雲雀をこちらへひきずりこむ力となったからだろうか。つまらない感傷だった。まだそんなものにさいなまれている。 武器を握る雲雀のてのひらは、シーツの中はじっこからすこしこぼれてゆるく開いたまま。熱を上げたその手をディーノはひそやかにつないだ。 そういえばほんの数日前にもこうして手をつないでねむったっけと思うとなんだかくすぐったくなる。雲雀がつないでくれた手だった。なんだかもうずいぶん昔のことのようにも思える。 それでも背筋がむずむず、やさしいきもちになった。 「……きょーや」 口の中で雲雀の名前を呼ぶ。ごくちいさなひとりごとのつもりだったのに呼ばれた本人がうすく目をあけたものだからいくらかあわてた。 「……あなたも寝たら?」 うっとうしい、と言わんばかりのうわごとのような声の調子だ。それがまたディーノの胸をぎゅうと押さえつけてくる。もうのこらず警戒をほどいてもっとふかくねむってしまえばいいのにと思う。もうすこしだけあまえてくれれば。どんなに。 「……しゃべんな。寝てろ」 つないだ手をぎゅっと握る。指先がほどかれることはなかった。 「………………あなたの修行とやらはわりに役に立ったね」 ふふ、とほんのちょっとわらった気がして雲雀の顔に視線を戻すとまぶたはすっかりとじられていて、またふうふう規則正しいあつい吐息をこぼしている。 雲雀はもう家庭教師は終わりだと言った。けれどディーノは雲雀を離せないと思う。この先ずっと、何があっても雲雀が自分を守れるようにディーノの持てる強さをのこらず渡してやりたい。雲雀はディーノなんて必要ないといやがるだろうけど。そのうち僕が勝つよ、とまたかわいくないかわいい顔で言うだろうけど。 きゅう、とほそいゆびさきに親指をつかまれて胸がかっとあつくなった。鼻の奥がつんとする。どうしようもなくのどが引き絞られる。このまま肺をぎゅうぎゅうしめつけられてきっと死んでしまう。息が苦しくてどうしようもなくて、ディーノはまるで陸に上がった魚みたいなきもちになった。 なにもかも与えてやりたいと思う気持ちとおなじ強さで、雲雀なら大切なことを、息のしかたを教えてくれる気がした。 うすいくちびるの表面に指先でそうっとさわる。皮膚がうすい場所だから他の部分よりもっとあつくてくらくらした。雲雀はこんこん、ねむっている。目もつむらないままおなじやわい器官でそっとふれた。間近で雲雀のまつげがふるえている。雲雀の、熱をもった苦しそうな息を吸い取っては吐き出される場所にふれた。何度も何度もくりかす。そのうちにもう目をあけていられなくなった。 |