(090318)






どう、と言われても。
ディーノの心臓はどきどきしている。雲雀の目はディーノを見ている。白目が産まれたての赤ん坊みたいに青みをおびていた。ある部分では確かに赤子のままに純粋な雲雀だ。またよけいに心臓が跳ねたのを感じる。
とくとくとくとく鳴っていた。
「…………大事にしてえ……かな。」
うそではない。
かと言ってすべてでもないけど、うそはなかった。
大人のやりくちだなあとぼんやり考えながらディーノは雲雀の前髪をさわるふりをして視線をすこしだけさえぎる。
こどもの潔癖さでうそはきらいだと言う雲雀の目にみつめられたままだと何をかぶちまけたくなってしまう気がした。見すかされてしまう。隠し立てできる気もしなかった。
うそでもなくすべてでもないということは、ようするにごまかしということだ。見破られる気がしてこわかった。
「そう」
「え」
赤いくちびるがひとりごとの音量でうごめくのが視界の中いやに目立つ。けれどそのささやかさとは不似合いに、雲雀は能動的にディーノの首をしめにかかった。痛みを訴える間もない。後頭部が車のシートにぶつかってにぶい音がたつ。
「っ」
手首を縛られたままのくせ、雲雀はうまいこと脈のうえを狙ってくる。せきずいがひやっと震え上がった。
「……大事にしたいものみんなにあなたはああいうふうにするのかな」
「恭、弥」
「変態を野放しにするとやっぱり風紀が乱れてしかたないね」
殺すしかない、と雲雀は親指に力をこめてくる。指先からぴりぴり這い上がってきた雲雀の怒気がディーノにまでうつってしまいそうだった。
怒っている。
「っ……」
圧迫に遠のきそうな意識を、雲雀の指先をちぎるように引き離し手繰り寄せた。なかなか離れようとしないで熱烈にしがみつくゆびだ。名残惜しくひっかかるつめの何本かにぎりりとひっかかれた傷から血が出る。
情けなくも気道にはりついた酸素の刺激に咳がこぼれて苦しさに涙がにじんだ。
いさめた雲雀の爪先にはディーノの皮膚がこびりついている。ぞくぞくした。
「恭弥」
それでも雲雀を憎くなどとうてい思えることではない。
だってディーノはうそをついた。
大事にしたいという言葉にもきもちにもうそはないけれどごまかしは雲雀にとってはうそと同じだろうと思えたし、核心をはずしたことをディーノ自身がよくわかっている。
「恭弥」
ばかのように繰り返し名前を呼ぶとディーノのてのひらの中の雲雀の手からすこし力が抜けた。
けれどそれは戦意の喪失ではなく幕間だ。機会を狙って雲雀は爪を研いでいる。
「あなたは誰彼かまわずああいうことをしてるの」
「……」
「僕はみたことがないけど」
「……」
「ねえ、答えなよ」
詰問に答えることができなかった。
雲雀は本当のことを知りたがっている。ディーノの言葉を待っている。
(……いつもと逆だな)
ディーノは雲雀のほんとうを知りたくていつも言葉を待っていた。
待たれている雲雀もあるいは今のディーノのような気持ちだったんだろうかと考える。きっと違うだろう。雲雀はうそをつかない。あまり饒舌ではないからどんな言葉で表していいのか困ることはあったろうけど、後ろめたさなんてきっとない。その直刃のようなまっすぐさがいつだってまぶしいほどうつくしかった。
黙ったままのディーノに雲雀のいらだちはひどくなる。それでもディーノは黙ったままいる。
世界は雨だ。
大きな粒の水滴が地面にぶつかりはじける音がしんとした車内にもしのび込んで雨に打たれているような気になった。ひたひた、すっぽり水にしめっていく。
「……ほしいものが、明日もほしいかたちで存在してるなんて保証はどこにもないんだよ。」

ディーノ。
存外なやわらかさで名前を呼ばれてはっとした。
「僕はほしい。あなたのことが。」
雲雀はディーノを見ている。黒い目をちっともそらさないでじっとディーノのことを。
「……」
恭弥、ともう何度も何度も口にした名前を呼ぶことができなくなった。ディーノのかよわい心臓はともすればやぶけそうになっている。雲雀の手の中でかんたんにつぶされてしまう、ちいさくてやわいいきものになった気分だった。
「もっとずっと戦ってたい。知りたい。」
雲雀はうっとりまろやかな声でディーノをますますおいつめる。
ほしいものをほしいと口に出すことができる強さ。ほしがることをこわがらない強さ。こどものすなおさだった。
おとなになってしまったディーノはそんなふうにはとてもなれない。ディーノはこわい。こわくてたまらなかった。

スクアーロの言葉が呪文のようにちらちら脳裏をよぎる。雲雀をもう戻れない世界へ引きずり込んでしまった。ディーノが雲雀をほしがる気持ちは、そのうえ雲雀のすこやかな成長まできっと取り上げてしまうのだろう。
二重の罪悪だった。
まだ少年の面影が色濃くても、毎日おとなになりかけている。今はちっとも興味のなさそうな顔をしていても、そのうちきっとかわいい女の子を好きになってどきどきしたり恋をしたりキスをしたりするんだろう。
そういうすくすくまっすぐ育つさまを見ていたいと願うのとおなじ強さで、一度ほしがってしまえばつないだ手を放したくないと思ってしまうのがわかっていた。ものわかりのいい大人になんてなれない。
だってディーノは雲雀を好きだった。あらゆる好意を含んで雲雀恭弥のことを想っている。好きだからこわかった。
「恭弥」
喉にはりついたかさかさの声でなんとか雲雀を呼ぶ。ディーノのてのひらにおさまってしまうくらいちいさくてまるいあたまのかたちを左のおよびでなぞった。
「恭弥には、好きな女の子はいねーの。」
「そんな話は今関係ない」
「おしえて、恭弥」
「あっちにもこっちにもとは思わない」
「……そうだよな。」
わかっていたいらえがそれでもやっぱり好ましい。
「あのさ。そのうち好きでもっとほしくてしょうがねえ子がきっとできるよ。そしたら今の恭弥のほしいってきもちは興味なんだってわかる。ほんとにほしいのとは」
ちがう、といえなかった。
雲雀のくちびるがディーノにかみついている。
「わかってないのはあなたのほうだよ」
がりっとかじられて皮膚がぴりぴり裂けた。
「僕は不快なことをがまんしたりしない」
離れたしろい前歯に赤いしみがついている。裂けたところからこぼれたディーノの血だろう。気が遠くなって、それから泣きたくなった。
わかっている。昨晩だって、眠っていようがいまいが意識があろうがなかろうがほんとうに嫌なことなら雲雀はきっと自分の意思で目を覚ましディーノを殴り倒している。そういうたちだ。
「あなたのもしも話はつまらないね。そんな不確かなことばかりを気にするからおかしくなる。」
嫌なら死ぬ気で抵抗しなよ、と言われて嫌なはずもなくディーノはまたくちびるをかじられた。じりじり痛む裂けた場所をなぐさめられてじんと全身に熱がともる。
ばかみたいにちいさくふるえながらなでていた雲雀のあたまをぐっと引き寄せた。それでもくちびるをただおしつけあうつたなさに夢中になってどきどき胸がはちきれそうになった。 ほしがりかたもほしいものもきっと違う。
けれど雲雀はディーノがほしくて、ディーノも雲雀がほしかった。
それさえ間違えなければ大丈夫だと思えた。なにもかも違っていてあたりまえだ。雲雀恭弥だ。この世に二人といやしないだろう。
根気がなければいけない。違うなら見解をすり合わせよう。一に忍耐二に忍耐、三四も忍耐、五に愛だ。
いや、一に愛だなとディーノは思いなおして、それからもう一度。くちびるをつけた。