(090322)






つつけばやぶけてしまうしろくやわらかなうすい皮膚だ。水蜜桃のようにとろりとみずっぽい水気があふれそうな。ういういしく傷などないまるでもぎたてのくだものに違いなかった。
ディーノはその蜜をそっと吸いとるようにくちづける。まつげの、思いのほか硬い感触にくちびるをちくちく刺されながらくすぐられてこんなところまでが雲雀らしいことに困ってしまった。どうしたってかわいくてしようがない。
なつかしいかどうかはわからなかった。そのくらい長らくふれていない。
それなのにふれてしまえばなつかしさを冷静に詮索するより今この場のかわいさだとかほほえましさだとかがよっぽど勝ってしまっている。わが事ながらわけがわからなかった。時間を越えてきた雲雀本人よりあるいはディーノの方がよっぽど混乱しているのかもしれない。
雲雀がなんの疑問もなく三十もすぎたディーノをすっぽり受け入れるから。うれしく思う反面苦々しくもあった。
今の雲雀なら間違ってもそんなことはしない。
「ん……」
なに、と舌の足りない雲雀がもごもご目を覚ます。まばたきにこすれるくちびるがやっぱりこそばゆい。
目覚めをいくらか残念に思いながら表情のうかがえる場所まで顔を離した。雲雀はねむたそうにふわんとひとつあくびをしている。
(かっわいーの)
ゆびをつっこんでくすぐってやりたくなったけどがまんした。けんかは得策でない。がまんした指でそれからひたいをなでてやる。まろやかなやさしい手触りだ。まるくてちいさい。どこもかしこも。なにもかも。胸がずくずく痛む。ただ、痛みの正体がわからない。
「……おはよう恭弥。」
でもすぐおやすみだった。まだ夜は浅く眠りを手放すほどに雲雀は回復してもいない。
ディーノの首にひっかかったままの腕を片方ずつそろっと外させていねいにシーツの上へそろえてやった。
とろんとねむたいくせにディーノをまっすぐとらえる黒目をどう見ていいのかわからなくてディーノはまたまぶたに口をくっつける。ごまかしだなあと思った。雲雀にごまかしなどあまり気分のいいものでない。見破られそうな気がするからだ。誰だってばれたくてうそをつくわけでない。
ちゅう、とちょこっと吸い付いたらその刺激に押し出された雲雀の呼吸がディーノの首筋へふれた。
「……ちょうちょ」
「ん?」
「あなた、ちょうちょみたいだよ」
ふふ、と吐き出した息にまじるかすかな笑い声がディーノの鼻先をつんとさせる。あんまりおだやかでいけない。まるでほほえんでいるかのような雲雀はとろとろ、もういつ眠ってしまってもおかしくなかった。
「……そっかな」
「そうだよ」
春の風みたいなやらかさだ。最後に見たのはいつだっただろう。記憶をただろうとしてあまりうまくいかなかった。いつだってディーノは目の前にいる雲雀にさらわれてしまう。十年前だろうが今だろうがたいしてかわりない。進歩のないことだった。
それとも夢をみているのかもしれない。こんなすなおな気持ちだ。
ふくふくやらかいほっぺたをなでてやれば目をつむってきもちよさそうにくちびるをもぐもぐさせる。もうそのいとけなさをまるごと食べてしまいたくなった。
ディーノも妙齢だ。赤ん坊の産まれた友人知人くらいいる。みんながそろって赤ちゃんって食べてしまいたいくらいかわいいと言うけれどそれってこういうことかと思った。
確かに今の雲雀は正しくおさないこどもではある。
「……おやすみ」
しかし雲の守護者をあたまからがりがり食べるわけにもいかないだろう。みんなほんとうに赤ん坊を食べてしまうわけでもない。比喩というやつだ。
名残惜しく離した手でベッドのはじに丸まった毛布をたぐり寄せ肩までくるんでやった。よいしょと枕にきちんと頭を乗っけてやろうとするとふしぎそうな顔をする。
いくぶん眠気を飛ばしてしまったようでディーノはあれ、と思った。
しろいまくらに沈んでしろい毛布にうもれているさまはみのむしみたいに見えないこともない。ずいぶんかわいいみのむしだった。白と黒とでは保護色にもならない。かわいさが目立ちすぎる。
ぎゅうぎゅうしたい気持ちをぐっとこらえてディーノはベッドから右足を下ろした。サイドテーブルのスイッチで部屋のあかりもおとしてしまう。デジタルの時計だけがみどりに光っていた。左足も下ろしたところで身に着けている服がどこかに引っかかったのかひきつれているのに気付く。くん、と弱くない力で引っ張られている。
「ねえ?」
「ん?」
みのむしの巣からにょきにょき腕がのびて離れようとしたディーノをつかんでいた。
(おお?)
「……どこいくの?」
暗くてあまりよくは見えなかったけど、心底不可解そうな声をしている。まるで理解できないと言いたげだった。
「トイレ?」
「いや、自分のベッドに」
「?ここだよ」
「……いや、あのな」
「あなたが言ったんだよ。」
「ですから」
「昨日まで一緒じゃないと寝ないだの何だのって」
「……」
「だだこねたくせに」
「……」
「ねえ」
それは十年前のディーノのしわざだろう。確かにそんなことを言ったかもしれない。思い起こしてかわいそすぎる自分の行いにためいきが出そうになった。浮かれすぎている。
ボンゴレリングのあれこれが終わって雲雀がようやっとなついてくれた時期だったろうか。
自分のことだ。浮かれる気持ちもわからないでもないけどいささか間が抜けすぎていると思う。十年前だってディーノは立派にいちおう成人していた。
雲雀は雲雀で十年の時間などまるで関係ないかのように話をすすめる。まさか本当に十年後の世界に来たことをわかっていないのかといっそのこと不安になるくらい自然な口ぶりだった。
ご丁寧なことにころんとひとつ回転してディーノが入るスペースまで作ってくれる。意外とやさしい。
「ほらはやくしなよ」
今これ以上だらだら話してもあまり意味のないことに思えた。ディーノもイタリアからやってきたばかりで疲れていたし、雲雀はこどもらしくかわいい。
「……」
ベッドの上に逆戻りした両足を満足げに雲雀がながめているのが視線でわかった。夜目のきく子だ。おじゃまします、ととなりに寝っころがるともそもそ寄ってくる。
「おじゃましますじゃないんだよ」
「ん?」
「……おやすみ」
就寝のあいさつのことを言っているらしかった。それさっき言ったけどなあと思いながら、ディーノのシャツをつまんで早くもとろとろしはじめたあたまをなでなでする。
今しがたらんらんと目を輝かせていたくせもうねむいらしい。胸元にあったかい息がしみこんで雲雀があくびをしたことを知る。
「おやすみ。恭弥」
雲雀にもディーノ自身にもいろいろつっこみたいことはあったけどすやすやねむたげな雲雀につられてディーノもねむたくなった。せなかをぽんぽんゆるやかに叩いてやると安心しきったみたいにちいさいこどもの体から力が抜ける。
そのすなおさにディーノもほっとしてしまってまるで十年は若返ったようなふしぎなここちで目を閉じた。