(090330) さびたドアをぎしぎしいわせながら開くと澄んだにごりのない空気がさらさら髪をすいていく。真夜中の屋上は昼間よりだだっ広くがらんとしていた。雲雀と遊ぶにはちょっとせまいくらいのスペースが今はなんだかそっけない。 鳥のさえずる声がどこかから聞こえた。空耳程度のちいさなさいずり。 「さみ……」 見渡すと尋ね人はいなくて星も空いっぱいとは言い難い。それでもいくつかまたたくひかりはきれいだった。雲雀と見たいなと思う。一緒にただきれいなものを。 てのひらを息であっためながら屋上をくるりと一周して、待ちかねたように貯水タンクのある一段うえのせまい場所へのはしごに手をかけた。 なんだかすこしどきどきしている。早く雲雀を見つけたいような、届かないものを追いかけていたいような。 鳥の鳴き声が大きくなる。もしかしたら雲雀のそばにいるのかもしれない。 何段か踏み外しながらのぼると案の定、まいごのこねこが寝そべっていて笑いがもれた。 やっぱりおひめさまにしては図太すぎるなあと思う。寝ているだけなんてきっと性にも合わない。そしてたどりつけないほど遠い存在でもない。ディーノが向かえば雲雀はなんだかんだでこたえてくれた。いつも。 今だって。雲雀はそのうちにディーノが来るとわかっている。わかっていてこんなところで眠っている。そんなの、驚くほど許容されているということだ。それがわからないほどディーノもこどもではなかった。 雲雀のかたわらにはすずめみたいな鳥もいる。すずめにしては大きいそれはディーノが近寄ると尾をふりふり、とことこ離れてしまった。なるほど雲雀の好きそうなかわいいもので、遠ざけたと知ったら怒るかもしれない。 「恭弥」 できるだけひかえめに名前を呼んでみる。雲雀はぴくりともしない。コンクリートに制服を一枚しいただけの寒そうな格好だった。 おしおきしてやらないといけないはずだったのに、ディーノはさっそくくじけそうになる。 「こら恭弥」 「……」 「なにしてんだ」 ディーノが腰のところから上半身を半分に折って、上から覗きこむとうすぼんやり目を開けた。ディーノを映しているのかいないのか興味なさそうにてのひらでまぶたをこすってまたつむる。 「恭弥」 「うるさいな」 「心配してんだろー」 ほっぺをつんつんつついてからちょんとこづくと嫌そうに身をよじった。それよりつめたいほっぺたにディーノはちょっと悲しくなる。こどものからだが冷えているなんてかわいそう以外のなんでもない。 かと言って急に抱き上げても怒るだろうからまずはそうっと雲雀のかたわらに腰を落とした。風よけくらいにはなればいい。 「なあ。恭弥」 「……鳥を」 「ん?」 「鳥を出してた」 「鳥?あれか?」 「……痴呆なの?あなたのくれた鳥だよ」 「うん?」 雲雀は目を閉じたままめんどうそうに言った。制服のうえにころんと横に転がった手の中に、ちいさなちいさな箱がおさまっている。 「あ」 雲雀の、むらさきのほのかな火をともしてきらきら燃え尽きる前の流れ星のきらめきをまきちらしながら正方形の匣がちらちら光っていた。ともすれば夜にとけそうな夕暮れの色だ。 「……お前が持ってたのか」 給水タンクの裏で鳥がぴゅるると鳴いている。その鳥をディーノは知っていた。 「なつかしいな」 雲雀の指のすきまから見える匣は濃い茶色をしている。今は隠れて見えないけれどそこに鳥の羽とたなびく雲の彫り物があって、あおいきれいな石が埋まっているのも知っていた。 雲雀の言うとおりディーノが雲雀に渡したものだから当然だ。どうして忘れていたんだろうと思う。 ディーノがはじめて雲雀にリングの炎の話をしたときに渡したものだった。 そのころはまだリングの炎のことも匣のこともあまりよくわかっていなくて、キャバッローネの屋敷やら倉庫にある匣も開けられたり開けられなかったりそもそもどう使うのかわからないようなものが多かった。 それでも雲雀に炎とふしぎな箱のことをどうしても教えておかないといけないと思って、唯一雲雀の興味を引けそうなものを選んだ。 「……ヒバリ、出せたんだな」 うつくしい声で鳴く鳥の入った匣を。十年前それを雲雀の目の前で開ければ「なあに、それ」とかわいく訊ねてきたその表情まで思い出せる。 結局そのときは雲雀自身は開けることができなかったけど、ディーノに何度も「開けろ」とせがんできた。 寝る前に開けてやれば子守歌みたいに目を細めて聞いていた。それがかわいくてしかたなかったことも。 「こつがわかったからね」 「さすが俺の教え子」 「……えらそうに」 「だっておまえ、これ開匣すんの難しいんだぜ。注入する炎の量が多すぎても開かねえし、ちょうどいい量に調節すんのがいい修行になると思ったんだよなあ」 匣を包む雲雀の手の上にそろりとてのひらを重ねた。つめの先がディーノの手の表面をちょっとだけひっかいて、それに反応したかのようにうしろでヒバリが高くひとつ鳴く。 「でもこれ戦いには使えねえよ。匣自体だいぶ小っちぇえし、初期のころの試作品だろーな。」 役に立たないものだから大きくなった雲雀はきっと捨ててしまったし、ディーノも忘れていた。それもなかなかどうしてせつないものだ。 「ふん?」 「どうせなら使えるかもしんねーやつも渡しときゃよかったなあ、俺。」 「……べつに」 「それしても恭弥、よくこれ持ってきたな。」 「ポケットに入ってた。寝ようとしたら硬いから。」 「あー……」 制服を敷き布団にするときにどこかにあたったらしい。たぶんディーノがこそこそ雲雀のポケットに入れたんだろう。覚えていないけどそういえばそんなことをしたような気もした。 「……オルゴールだと思ったんだよ」 「ん?」 「はじめはね。ふしぎなオルゴールだと思った。」 「……」 「あなたにも聞かせようと思って。」 雲雀はうとうと、夢みるように言う。重ね合わせたてのひらの親指をきゅっとつかまれた。 意思があるのかないのかわからないくらいの力で。ただどちらにせよディーノを拒まない手だ。 肺がいっぱいになってなんだか苦しい。それなのにどこかほっとしていよいよ怒る気も失せてしまった。気絶させられた部下にはあとでもう一度ディーノから謝っておこうと思う。 「そっか。でもそれならホテルでもできるだろ?こんなとこじゃ風邪ひく」 「……」 「……しょーがねーやつ」 「ん、う」 脇に手を差し入れるとちょっとだけぐずって眉がひそめられた。かまわず抱き上げてあぐらをかいたディーノの膝の上に持ち上げるとあったかさがさほど嫌でもなかったのかおとなしくしている。 「おまえ髪の毛濡れてるじゃねーか」 「……おふろはいった」 「乾かせよ」 「……」 「かぜひくだろ?」 冷えて針のようにするどいつめたさの髪をいらっているとくちゅんとかわいいくしゃみが出た。白いシャツを首のうしろをかばうように引きあげてやる。 発熱の多い場所だ。手が冷えていなかったらあっためてやれるのになと残念に思った。 「恭弥」 「……だって、あなたがいないのがいけないんだ」 「ん?」 「あなたが乾かせば僕は濡れたまま出かけられない」 「……」 「そうだろ」 「……」 「あなたが悪いんだよ」 「うん……」 すねたみたいな言いようにディーノは胸のあたりがそわそわした。ようするにディーノが面倒をみないからいけないと雲雀恭弥に責められている。 うすい背中をなぜるとそこもひえていた。コンクリートのうえで寝ていたのだからあたりまえにたぶん全身そこかしこ冷えているに決まっている。ディーノは上着を脱ごうと雲雀の体を離させようとしたけど雲雀がじゃましてくるからうまくいかなかった。 こどもの手がディーノのコートをつかんでいる。 「こら脱げねえだろ」 外させようとてのひらを包んだらますますかたくなに握りしめてきた。このいじっぱりめ、とぎゅうぎゅうしたくなる。 「コート脱ぐだけだって」 「どうしてそんな必要があるの」 「いやお前冷えてるから」 「……僕をくるんで置いて帰る?」 「んなわけねーだろ。何しに俺が来たと思ってんだよ」 「さあ……」 声はとろとろねむたそうだ。ふわ、と雲雀があくびをする。のんきなものだった。 「さあって。迎えにきたの。な、恭弥いっしょに帰ろうぜ。ヒバリも。」 「だめだよ。あなたは信用できない」 「信用できないって」 「深夜に出掛けたりして」 「……」 「それにいつのまにそんなにがまん強くなったの。いつもべたべたべたべたしたがるくせに」 「……」 「あなた変だよ」 まるこい頭がディーノのコートのあわせからもぞもぞ侵入してくる。おとがいにつめたい髪がこすれてひやっとした。でも顔がなんだか異常に熱いのはどうしてもこうしても雲雀のせいではある。かわいすぎる。 「昨日から。すごく」 「……ごめん」 顎先で雲雀のひたいをちょんとつついて密着している場所にすきまを作った。かわいいひたいと伏せがちなまつげがディーノの視界にうつる。くちびるがちょっとだけとがっていた。 どうしようかと迷うほどのこともなく、それを目にしたらもうそうなることが決まっているみたいにあたりまえにくちびるで触れた。 「あ。」 ふれてからしまったと思って間抜けな声が出る。 「……ごめん?」 「なに?」 けれど雲雀は気にしたふうでもなくとろとろ、ディーノにもたれかかる身勝手さを増してきた。満足げにも見える。膝の上で抱きしめた体勢で上からちらちら見える雲雀の口元が心なしかほころんでいた。 (あれ) ディーノは思い切ってもう一回くちびるをちょんとつける。今度はこめかみに。 「む」 「……」 「……くすぐったい」 「そっか」 「……」 「……」 「……でも、いつものあなただ」 思い出したみたいだね、と言われて頭を抱えたくなった。ディーノに何をか偲はせるためにこんなところでこんなことをしていたのだとしたら絶望的にかわいすぎる。ディーノの顔なんてきっと赤い。りんごか茹でた蛸か夕焼けくらい赤い。 「恭弥」 「いたいよ」 脱げないコートでできるだけ雲雀を覆おうとぎゅぎゅっと布地をひっぱってくるんでしまった。ファスナーをかさねてディーノの腕で押さえてしまう。そこかしこぎゅうぎゅうくっついていると雲雀からただようせっけんのかおりでいっぱいになった。 雲雀の体がだんだん温度を取り戻すとよけいにその清潔ないいにおいが強くなる。くらくらしてまた髪の毛にキスをしたらふわんとただよってたまらなくなる繰り返しだった。 雲雀がうっとうしがりもせずおっとりおだやかにしている。 (さわってもよかったんだなあ) たわむれにてのひらでなでると心地よさそうな息がもれた。すなおなからだだ。そもそもすなおなこどもだった。 ねこが伸びをするように背中が沿って、おやと思う間にちょんとかわいらしいくちびるがディーノの顎の先にふれてすぐ離れる。かすかに笑っている気がした。 (おーおー……) 緊張してどぎまぎしていたのはディーノのほうでなんだかちょっと気恥ずかしくなる。 匣から出たままのヒバリが給水タンクの上でちるる、夜明けの方角に向かってかわいい声で鳴いていた。 |