(090417-18)






「ディーノ、久しぶり」
ドアを開けたらふうわり柑橘のかおりがしてディーノは目を細めた。
あまく、けれどりんとすずやかな空気をまとった、イタリアをそのまま切り取ったようにあざやかなからだがディーノに近づいてくる。
「いつ日本に?」
のばされる丸みのある腕が、首にからまりやすいよういつものとおりにちょっと首をすくめ身をかがめた。
慣れたやりようだ。おたがいに。
「仕事が終わったって聞いて、イタリアから飛んで来ちゃったわ。」
「遠かったろ」
「さっき成田についたとこ」
「ん」
おつかれさま、と耳元に寄せられたくちびるを受けてその感触ごと手になじんだ背を抱いた。
「今回の仕事はずいぶん長かったのねえ」
「そうだなあなんか、長かったよーな短かったよーな。……連絡できなくてゴメン。」
「慣れてるわ」
「ごめんって。」
ふふとわらう気配が夜の空気の中で跳ねている。二本の頼りない腕に、いたずらしたこどもをとがめるように髪をかきまぜられていた。
「髪」
「ん?」
「まだすこし濡れてる。なんだかいいにおい。いつものあなたの香りとは違うけど」
「どっちがスキ?」
「……ばかね」
背の高いひとだ。
ディーノの腕の中でしなやかな身がよじられひっついていたからだが離れる。ディーノは好きにさせたままゆびさきにこすれる肩甲骨のうつくしさをたどっている。
「どっちもよ」
かわいいというよりうつくしいつくりの、どちらかといえばきつい顔がゆるんで目がみかづきに形を変えた。
月齢がだんだんに変化していく。それを見届ける前にディーノも目をつむってそのままくちびるどうしをくっつけた。
厚いくちびるのふれる感じをじわじわ思い出している。

親しいふれあいは、あたたかな水にずるずる埋まるような心地がした。胸元に寄せられたほそく長い十本の指が鎖骨から肩のラインへディーノの輪郭をおだやかになぞっている。
その手をそろりと首へ引っかけるよう戻させてそれから肩口へ抱き上げた。
「ディーノ」
ぽかりと二三度ディーノの背中をノックした手は抗議とも呼べないほどただのじゃれあいで、ふだんは落ち着いた低めの声が楽しげに高くなる。声をたててわらう。
ディーノの背中をすべりおちて、笑い声はあまいキャンディーみたいに床にこぼれた。
童話のこどもがまいたパンよりよほどおだやかな理由でディーノの足元に転がっている。
「って」
もつれながらベッドに倒れこんでもまだかすかに笑っていた。
「なに、そんなおかしくねーだろ?」
「またこけて」
「うるせー」
青と黒のあいだくらいの色のふしぎにうつくしいひとみがディーノの間近にある。白目のさかいからうっかりするとすいこまれそうな目に口付けてこしょこしょと左手でわきを、右手でわき腹とをくすぐった。
またひとつ大きな笑みがあって、ひっぱられるようにディーノもわらう。
いささかおだやかすぎるほどの。血なまぐささなんてどこにもない。
それでもさきほどまで自分のいた場所を忘れさってしまうことなんてことはとてもできそうにはなくて目をふせた。
「くすぐったいわ」
鼻の頭をちょんとひとさしゆびで押されている。
あまい色の目にみつめられていることはわかったから曲線のなめらかなからだに沿ったしろいシャツのすそから手を入れた。胸のふくらみにほほを埋めてやわらかさにふうとためいきをついている。
「ディーノ」
「うん?」
くちびるでボタンをかじっていた行儀の悪いあたまごと髪をぐっとひきあげられた。
「……なんでもない」
「ああごめん。疲れてるよな。さっきついたばっかで……そうだ、シャワーも」
「ディーノ。シャワーはいいの。」
いいのよ、と言い聞かせるようにあたまをゆっくりなでられて胸の谷間にそうっとあたまを戻される。
ひな鳥を巣に返すようなやさしいやわらかい手つきだった。それともなきがらを湖に沈めるような。
素手にふれる弾力のある素肌に夢中になりかけた熱はふとゆきさきと温度そのものを失っている。
シャツから手を引くでもなくふれているとあたたかさに眠気がひどくなった。
まるでディーノの体温にあまえる雲雀にそっくりで、わがことながらふたつ隣の部屋で眠っている弟子のこどもっぽさのことをからかえないとあたまのすみではずかしくなる。
(恭弥)
どうしているだろうと思った。
両腕のあたたかさはますますひどくディーノをとかして、もううまく思い出せないそれでもあたたかな思い出の中にいる母親の腕の中のように感じられる。守られている。
ささやくちいさな声でイタリア語のこもりうたが耳になじんだ。
雲雀にも聞かせてやりたかった。