(090419)






体の上で寝入ってしまったディーノにできるかぎり振動を与えないよううまく身をスライド させてベッドを出る。
しわのよってしまったシャツをきゅうとひっぱった。縦に横に伸ばしてみるもののコットンのしわしわはあまり素直にはなってくれずあきらめて脱ぎ捨てる。
ふたつあるうちのひとつのベッドは眠るひともいなくて朝きちんとメイクされたままの格好でシーツひとつ乱れてはいない。そこへシャツはぱさ、と着地した。
ついでにヒールの高い靴も。これは床へ。

黒いキャミソールと細身のジーンズだけになるとなんとはなしに身も心も軽くなった気がした。
じゅうたんはこどものころ遊んだ芝生に似ていて素足にきもちがよく、そのままベッドサイドにしゃがみこむ。
すぐ横にはディーノの顔がある。ぜいたくな眺めだと思った。
静かな夜はずっとずっと続くような気がして、明けない夜をほんの少しのぞみたくなる。 かなえられることのない妄想だ。
目を閉じても閉じなくても朝はひたひた近付いてくる。こうしている間にも。
明けてしまえばまた日に照らされて時間に流される。立ち止まれない。どんな人間も時間の中に立ち止まることはできないで前に進むしかない。
うれしいこともつらいこともかなしいことも、生きているかぎりそうやってすべてのことは振りむくことしかできない過ぎた時間の中だ。
すやすや眠りこけるディーノはいくつか年上のもう立派に成人した男のはずなのにひどくあどけなくいとおしい。
暗い部屋の中でもきらきらまぶしい髪に手櫛を入れふんわり後ろへなでつけた。何度かくりかえすとディーノのくちびるがもごもご動いてそれからふわりとほころぶ。
とろけてしまいそうな顔だった。
いい夢を見ているのかそれとも何かに対して向けられたものかはわからないままそれでも心臓はじわじわとあたたまりやさしくなって、それからきゅうとせまくなる。
おやすみは言葉にならずただほほにふれるだけのキスを落とした。





夜明けに降り出した雨は止まないままホテルの大きな窓を濡らしている。霧雨にけぶった町並みを鏡にして、グロスをひとはけ塗った。
今まで鏡の中で見たどの自分よりきれいな顔をしているといいなと思う。
背中でディーノが目覚めてふわあとかわいいあくびをしているのが聞こえた。何年かをかけて何度も何度も感じたいとおしくまぬけな気配を今日は肌のうえ、髪の毛の先までで敏感に感じている。
「おはよ。はやいなー……」
振り向かないで寝起きの声を聞いた。聴覚もするどくなっているのがわかる。ひとつきり、聞き漏らさないよう研ぎ澄ましている。猫の爪のように。
「いつまでいれんだ?俺はあさってまでの予定だったけど」
いとおしさに背筋のふるえることなんてあるんだなと思った。ディーノは今日はちっと仕事がってムリだけど明日は京都とかもいいなあと予定を算段している。やさしさはかわらなかった。今も昔も。
「つーか大学は。もう卒業じゃねえ?長期の休暇とか平気な」
「ディーノ」
しぼりだした声がかすれていないことに安心している。
そのやさしさにうずもれてしまえばもう何も言えなくなってしまうことを知っているから顔を見るのはこわい気はしたけど、まっすぐディーノの方を向いた。
かかとでしっかりじゅうたんを踏んでつま先の向きを入れ替える。右足と左足を交互に差し出せば大きな窓は背中を押してくれる。
芝生のような踏み心地のじゅうたんは、でも芝生ではなく踏みしめて遊んだこどもの足ももうない。
雨の中でもあざやかな金色ときらきらまぶしいキャラメル色のひとみを一生忘れないと思った。