(090504)






ひとしきりめそめそしたらあたまが痛くなって胸のつかえはすっきりした。
どんなにずうずうしく成長したところでからだのしくみなんてそうかんたんに変わったりはしない。泣けば体力を使って疲れもするしすっとする。
ただし幼いときのようにそんなに慣れた行いでもないのでなんだか熱に浮かされたみたいにからだがふわふわ、おかしな感じがした。
なみだの熱で体の表面がとけてしまったような。
肌の表面がぼんやりとあつく、その熱にとかされた鼻水がずるんとたれてきた。
サイドテーブルのティッシュで鼻をかんで放ったらゴミ箱にははじかれてしまって、拾おうとよたよたベッドから抜け出したらうっかり足をシーツにひっかけじゅうたんの上に落っこちる。
がんがんする頭がもうひとつ痛んだ。
「たた……」
それでももそもそ右手を伸ばして紙くずをつまんでそのままちょいとダークブラウンの木目やわらかなダストボックスのへりへそれを押しやる。
水分を吸った鼻水まみれのしろいティッシュは重力に逆らうことなく吸い込まれて、うすいちり紙と木と。ちがう物体同士がふれあうかすかな音がした。
それきり部屋にはしんしんと静けさが満ちて不本意ながらディーノが寝そべっている床はひんやりしめった空気が這っている。
腕一本ぶん不精しないだけでよかった。
手の甲に接するほっぺたの熱さがじんとつたって。じわじわ、雲雀に会いたくなっている。
「恭弥」
ディーノをおもってくれるひとがかけてくれた最後のおまじないが消えてしまわないうちに。
片方だけベッドに残ったままの足を引きずり床におとしてからはだしの指でぎゅっとふんばった。痛む頭が一瞬くらんだのを気にしてる場合でもないからくらくらしながら立ち上がってかけっこみたいに不器用によろめいて走り出す。
たった何メートルかの距離を、今詰めなければこの先ずっと縮まらないもののような気がしている。
そんなわけないと知っているのに。なのに恋って盲目だ。そうだった。いきおいと思い込みと勘違いと。およそめんどうで迷惑なものばっかりに突き動かされている。なのにきらきらでわくわくしてどうしようもなく泣きたいくらい勇敢な衝動でなんだってできてしまう気になる。



フロア全体を借り切っているホテルの部屋ふたつぶんむこうの扉を飛びつくみたいに押して、鍵がねえ!と焦っていたら昨日からはきっぱなしのカーゴパンツの中にカードキーをつっこんでいたことを思い出す。
配置されている見張りの数が異常に少ないのは、ディーノより先に出てきた女を見てあらかたの事情を察した腹心の部下の配慮には違いなかった。
小さな頃からいくどとなく見てきた、しょうがねえなあとあきれてわらう顔に感謝する。
いいかげんいいおとなだから泣きっ面やら腫れたほっぺたやらを見る部下の目を気にしなくてもいいのはのちのち考えるとありがたかった。
どうしてだかなかなか開かない部屋のドアにきりきりしながらうすっぺらいカードを差したり引いたりもどかしく繰り返していると幾度目かにかちんと乾いた音がする。
その音に、頭にのぼっていた血が嘘みたいにすっと下がって急にちょっとだけ手元がふるえた。
ごまかすみたいにぎゅっと親指を握りこんだてのひらで音をたてないようドアを押す。
暗い部屋の内にはまだこもった空気が満ちていて、それが外の空気と混じってしまわないようなめらかに開いたすきまにすべり込ませた体のうしろであわてて閉じた。
廊下とも呼べないような短い道の先に雲雀がいる。ほんの何時間か前にあとにした場所がまるで違う場所みたいに思えてディーノは息を吐いた。
慎重にそろそろ足を踏み出す。毛足の長いじゅうたんに足をとられそうになった。
カーテンを閉め切った窓に近づくごとに、暗い部屋の外側からしとしと、水の音がしている。雨が降っている。どきどきしている。
「……恭弥」
ベッドの上にまだ雲雀がいてほっとした。デジタルの時計は雲雀が起き出す時間をとっくに過ぎていてよほど疲れていたのだとわかる。
修行のときでさえ、どんなへとへとに疲れ果てて見えても目覚ましなんて無しできっかり目を覚ましていた雲雀だ。
「恭弥」
細心の注意を払ったつもりで上掛けのはじに座ると当然のように上掛けはひきつれて行儀よく天井をむいて眠っている雲雀の体をちょっとばかり圧迫する。
「……ミスった」
ディーノが座ったのと反対側のふとんを引っ張り上げて雲雀のうえにふんわりかぶせた。雲雀は眉ひとつ動かさない。そのことにほっとしてけれどがっかりしてもいる。
なめらかなほほに張り付いたガーゼを、ふるえのきたままの手でゆるくさわった。撫でるでもなくただじっとさわっている。
頼りない布越しからはディーノの熱が雲雀に伝わってしまうような気がしていたけど、なんてことはないただの思い込みで粗い目の布から雲雀の温度は測れない。それなら逆も同じだろう。
「きょうや」
ありとあらゆるものぜんぶが影で輪郭を作っている静かなほの暗い場所で、雲雀のまつげのあわいから光が顔を覗かせるのをディーノはうずうず待っている。