(090524)






おだやかな寝息は耳にまろやかにしみこんでディーノまでをねむたくさせるあまい誘惑でそれはそれでいいのかと思いもしたけど結局はがまんしないことにしてその呼吸を吸い取った。
ちょんと上唇と鼻の舌のあいまに触れて、雲雀からうすく吐き出される空気を肺に取り込む。
つい昨日までの先生が教え子に親がこどもに向けるあたたかないつくしみだけではないはっきりと心得違いを理解したうえでふれている。そういういけない気持ちに余計興奮してどうしようもない。
「恭弥」
ようするにやらしいきもちだ。下心ともいう。
認めないには知りすぎているそれを自覚すれば知らないふりというわけにもいかない。 むしろ数日のもやもやとした霧が晴れるような。
「恭弥」
まだ長い前髪の下に指を入れ持ち上げる。あらわになったまあるいおでこに同じ場所をくっつけそこを支点にくちびるをつけた。
繰り返せば目の表面はじんわり熱っぽくなってまたふるえている。今度はまつげと右のまぶたが。
雲雀の目がうっすら開くのをそういうぶれたフレームの中におさめた。
「……」
寝起きのひとみは黒目の部分がとくべつ多いような気がする。近い場所にある顔をみつけた雲雀は首をはらうことで押しのけてごそごそ身を起こした。手伝ってやろうと背に手を差し入れてもいやがらない。眠っていたからだは湯たんぽみたいにほかほかとあったかくふにゃりとやらかい。からだの芯にほこほことしあわせな熱がある。いきもののあたたかさそのままの。あついというほどのことはなかった。なぜだか大昔に雲雀と食べたやきいものあったかさを思い出している。
「おはよう」
「なんじ……」
ふわんともれたあくびは健康な証拠でいいこいいことあたまをなでた。
雲雀は目をしぱしぱしてまだ眠そうな頭をふるう。ディーノの勝手で起こしたことがちょっとかわいそうになった。寝起きのやたらにいいこどもだ。けれどもやらねばならないことがある。ひとりきりではできない。雲雀がいないと。
「恭弥」
「なに」
「すきだ」
ねむたいならまた寝かせてやればいいことでそれはとにかく言うこと言ってからだ。
「すきだよ」
雲雀は別段感動するでもなくぼやぼやしている。半分開いた目をうすぼんやり緩慢にしばたかせてまたあくびまじりにしってるけどなに、と言った。
「うん」
「あなたは」
「でも言わして。」
「やっぱりよくわからないね」
「恭弥がすき」
シーツをゆるくつかんだ左手に両方のてのひらを重ねてからめる。やっぱりちいさな手だった。こんなにこどものてのひらで。じんと感傷がおしよせてディーノは力をこめる。 めんどうそうにディーノに視線をうつした雲雀はぱちりとちょっとだけ目をみはった。
「……なにしたの」
自由な右手がそろりとディーノのほっぺたに伸びてくる。指先は見たことないものをさわる慎重な手つきをしていた。けれど好奇心にみちてもいる。
「あつい」
行ったり来たりふしぎそうにゆらめくおよびの動きをみることができないのを残念に思った。
なでなでされるごくやさしい動きも今のディーノには熱をこすってじんじん痛い。
ほんのわずか顔をしかめたのが、薄暗い部屋でもわかったのだろうか雲雀もそっと、ちょっとだけ眉をひそめた。
「またこけたの」
「……んー」
あいまいに笑うとそれはお気に召さなかったらしい。くちびるをつきだしてむっとしてしまった。
「こけてねえよ」
そういうしぐさひとつだってかわいい。いとおしくて困っている。
「なにしてたの」
しかられてるみたいでそれもいちいちよろこびだった。
雲雀がディーノに興味を。でもそれもよくよく見ていればわかることだった。いつの間にかディーノが雲雀を見なくなっただけだ。
できるだけ先のことは話したくない。修行中もできるだけ情報を与えないよう雲雀の持ち物である財団のことでさえディーノは話さなかった。詳しくは知らないというのもあったけれど。時間がどんなふうに流れたのかなんて知らないでいい。
雲雀とディーノと。いつのまにか時間を重ねることがなくなってしまったことも。
言ってもしょうのないことだ。
「ねえ」
いくらか苛立ちを含んだ声にはこたえずディーノは雲雀の肩先にそろりとかさなった。
「なあ恭弥」
「質問に、」
「聞いて。」
つないだ手のこわばりをほぐすようにたどっている。
「おねがいがあるんだ」
「都合のいい……」
「うん、」
ごめんとささやいた。ややあってしょうがないねと雲雀が息をついたのを聞いて泣きそうになった。よほどディーノを許容している。
「あのさ。俺は今でもへなちょこでこわがりなんだ」
「そう。」
「そうなんだ。だから俺に言ってやって。」
恭弥が。
「ほしいものはちゃんとほしがらなきゃだめだって」
いつもディーノのできなかったことだ。ほしいものに気付くのもへたくそだから。
「頼むな。」
「世話の焼ける……」
「ごめん。」
「……覚えてたらね」
「俺もちゃんと言うよ」
おとなになった雲雀に。
うまく言えなくても、十年前とは違うと言われても。
(それでも言うんだ。)
十年前のディーノができたことだ。千回でも百万回でもわかってもらえるまで。
「……ふうん」
あまり会話がしっくりこないのはしかたない。なのにちょこっとずつかみあってるのがおかしくてディーノはわらった。
その息がくすぐったかったのか雲雀にぐいと頭をおしのけられる。背をまるめたディーノとすっと背筋のびた雲雀と同じ高さで目が合わさったらもうたまらなくなって。
「……キスしていい?」
雲雀のまるくなった目をみつめたままかわいた音のするキスをした。すぐ離れてまたすぐくっついて二回目はもう音もしない。
ほんのわずかな距離にいとしさを次々こぼしている。
それを受け取る雲雀を見ていたかった。手のひらをいっぱいに広げてにこにこうれしそうにわかりやすくはもらってくれないけど。
近すぎて像のぼけた雲雀のまぶたのまたたきを見ている。
触れるだけのやさしいキスだった。